そらね

 言ってみれば、粗末な少女だった。
 王城に仕えていると言っても所詮は奴隷なので、彼女がとりわけ身綺麗だったわけではない。かといって周りと比べて一段と粗末だったわけでもない。とどのつまり取るに足らない奴隷の一人だったわけだが、ネフェルタリはことさらにその少女を好んでいたように思う。
 無論ネフェルタリはファラオの妻である己の立場をわきまえていたので、特定の誰かを贔屓するようなことはなかった。表向きは、という断りはつくが、とりあえずオジマンディアスが咎めるほどには、その重用はひどくはなかったように思う。よくは覚えていない。なにせ彼の、極めて長い一生で接した人間は数多い。彼の時代の一般的な寿命は著しく短かったものだから、そのせいもあっただろう。
「××××にはこの子の世話も手伝ってもらおうと思うの」
 四人目の子を産んだとき、彼女はそう提案した。名前も思い出せない奴隷の少女の、日に焼けた朱い髪がふと思い出される。生まれたばかりの子を恐る恐るに抱いた彼女、それをあたたかく見守る妻。一命を賭して責務を果たすと、分不相応の信頼に応えようとした少女の顔は、誰かに似ている。(いや、誰かが似ているのだろうか。)

 結局、あの少女はその言葉の通りに命を王家に捧げた。無論自発的に死んだわけではない。誰かが子らの食事に混ぜ込んだ毒で死んだ。たまたま、彼女がその日の毒味をした、それだけだ。
 ネフェルタリはひどく悲しんでいたように思う。オジマンディアスは、妻が嘆いていることだけに小さな憤りを感じていた。(それ以外は、どうでもよかった)
 奴隷など毎日のように死んでいる、代わりなどいくらでもいるだろうに。そうは思ったが、言い出せなかった。美しき妻の涙と対照に、毒で死んだ少女の死に顔はひどくむごたらしかったが、それから目を背けることだけはしなかった。奴隷風情に義理立てしたわけではない。すべては、妻のためだった。
 その奴隷の遺体の処理は特別なものではなかった。ただ、彼女の手の中には花が捧げられていた。なぜ彼がそんな些末事を知っているのか、彼自身、もうよく覚えてはいない。


  ×   ×


 乾いた風の匂いは枯れ草と炎のそれに上書きされる。サーヴァントとなったオジマンディアスは、物思いから浮上した意識と視線を匂いのするほうへと向けた。
 特異点となった中東の山間部に彼はいる。一人ではない。彼の未熟なマスターと、サーヴァントが自分以外に三名。いつもマスターに随伴するマシュと、それから今回はアーチャーが二人。一人は極東に由来する者で、もう一人は彼のよく知る大英雄だった。アーチャー同士気心が知れているのかそれとも修正前のこの特異点で行動を共にしていた縁か、俵藤太とアーラシュはマスターとマシュを交えてにぎやかに談笑している。
「豆をすりつぶした料理とはまたおもしろいな」
「そう? 日本にもずんだとかあるじゃん。藤太の時代にはなかったの?」
 俵藤太とマスターは、時代こそ違えど同郷ゆえかそういう話で盛り上がっている。口は動かしても手元はてきぱきと、何かの作業をこなしているようだ。残りの二人もまた別の作業に集中しているらしい。作業と言うよりは調理だろうか。あまり興味が湧かず一人何もしていないオジマンディアスは何気なく視線を遠くの空に向けた。
 頭上には星が瞬き、地上では焚火の炎がそれぞれの顔を赤く照らす。レイシフト用のコフィンの不具合で一日野営することになったというのに、存外全員楽しそうなのはさすがに呆れた。寝具もない地面で一晩を明かすなどファラオには耐えがたきもの――などと考えてもみるが、そもそも霊体化できるサーヴァントに寝具も何もない。普段なら考えつかないようなことを思ってしまうのは腹立たしいし、どうにも、記憶にひっぱられているようで気分が悪かった。
 ふと、覚えのある匂いが嗅ぎ取れる。焚火の炎のせいでそれがオジマンディアスのほうへと運ばれてきたのだろう。
 彼らがマスターのために拵えているのは、フムスだ。ひよこ豆をペーストにしてあれやこれやと混ぜた簡単な料理。ニンニクらしきにおいは、食事を必要としないサーヴァントでも食欲をそそられる。オジマンディアスでさえそうなのだから、空腹のマスターはよっぽどだったに違いない。
「ねえもう食べられる? まだ?」
「まあ待て。もう少し潰した方がうまいんだぞ、これは」
「ちょっと味見して確認してみようか? ていうかしてもいい?」
「マスター、お主三蔵のようになってきたな……」
「先輩、パンはもう焼けますからね」
 焚火の周りに魚のように串刺しにされていたのはパンだったらしい。ということは、おそらく今日の晩餐はこんがりと焼けたパンにフムスだけ。王族たるオジマンディアスからすれば目を疑うほどに質素だがマスターには全くそうは思えないらしく、目を輝かせてアーラシュの手元をのぞき込んでいる……どころか、今にも指を突っ込んでつまみ食いしそうな勢いだった。
 端正な眉が寄せられる。
「あれはいつもああなのか?」
 思わず声にしていた疑問を聞き取ったのは、彼の隣にいたマシュだけだった。薪がはぜる音で、その向かいに座るマスターたちの耳には届かなかったらしい。
「ああ、というのは、先輩の食欲のことですか?」
 マシュは珍しげに、それでも丁寧に言葉を探す。
「そうだ。いや、食欲というか食に対する執着か」
「ええと……はい、そうですね。割と何でも、食べてます。好き嫌いもなく、おそるべき雑食です」
 オジマンディアスの顔に呆れたような表情が浮かんでいたので、答えるマシュの声にも同意の意思が感じられた。しかし呆れながらマシュは、なぜ彼はそんなことを聞いたのだろうかと気がかりになる。
「それが、なにか?」
 オジマンディアスはむっつりと黙り込んでいたかと思うと、
「あれでは毒でも盛られれば簡単に死ぬだろうが」
 やや険しい顔をしてそんなことを言うものだから今度はマシュがぽかんと口を開けてしまった。
 もしかしてこの天上天下唯我独尊の王はマスターを案じているのだろうか。特異点では最終的に認められたものの、つい先日「取るに足らない」と直々に断じたというマスターを?
 寸の間、マシュはオジマンディアスの顔を見上げていた。すぐに「いや、聞き流せ」とでも言われるかと思いきや、王の目は真剣にマシュの答えを待っている。仮に失言であったとしてもその責めを負う覚悟のようなものは賢君の片鱗を垣間見せる……のだろうか。単に今は、本心から知りたいと考えているだけか。
 いずれにせよ、マシュが答えるべきことは決まっている。
「――いえ、ファラオ、オジマンディアス。その心配はありません。先輩は多少の毒は撥ね除けるスキル持ちですから」
 マシュは無意識にほほ笑んでいた。敬愛する、大切なマスターを心配してくれるサーヴァントが増えたのは本心から嬉しいことだと、彼女は思う。
「何?」
 普段から釣り上がっている両目が丸く見開かれた。綺麗な白目が赤々と輝いている。
「あの静謐のハサンさんに触れても、”ちょっと痺れる”くらいだそうです」
「……」
 それを聞いたオジマンディアスが思ったのは、いや、思い出したのは、あの奴隷の少女は別に、このマスターにちっとも似ていなかったことだった。
 ああ、本当に。
 こんなにもがさつでおおざっぱで、生命力に溢れてはいなかった。なんと愚かしい勘違いだったのだろう。
「フ――」
 彼の口元に笑みが浮かぶ。それは優しいものでもなんでもなく、いつも通り傲岸不遜な種類のそれだった。
「貴様ら、このオジマンディアスへの饗応を許す。実にそそられん粗末な食事ではあるがたまには下々の生活を体験するのもよかろう!」
 そうしてずかずかと取り急ぎの食卓に割りこんでいく。一体どういう心境の変化なのかさっぱりわからないまま、マシュはその後ろ姿をしばらく困惑した顔で眺めていた。
 焚火を囲む顔は明るく、夜更けの林に笑い声が満ちていく。時折爆ぜる薪の火の粉は舞い上がり、それが星になっていくかのような、美しい夜だった。