かんろ

 二十一世紀ではさほど珍しくもないのだが、ここカルデアもまた、高度な空調管理システムによって季節感もへったくれもない、二十四時間三百六十五日一定の気温湿度を保っていた。夏もなければ冬もなく、春ののどかさも秋のうら寂しさも感じられない。
 ゆえに。
 豊かな四季とそれに伴う種々の催しをこよなく愛する日本人たるマスターは不満だった。
「我々は要求するー! 土用の丑の日に鰻を食わせろー!」
 ヘルメットに金属バット、特徴的な書体で書かれたプラカードには偏った政治性を訴える文言が踊っている……わけではない。
 いつもの白いカルデア制服のまま、少女は調理場のカウンター越しに片手を振り上げた。ちなみに「我々」と言っているが彼女のほかに人影などない。
「鰻はない」
 サーヴァントクラス・主夫もといアーチャーのエミヤが申し出をぴしゃりとはねつける。
 汎用性の高い他の食材ならいざ知らず、それなりにレシピが限られる鰻が調達できるわけがなかった。他の食材がどこから来ているのかエミヤもよくは知らないのだが。
「そんな殺生な……」
「殺生でも無体でもないものはない」
 よよと泣き崩れてもエミヤの態度は揺るがない。というかマスターが泣き崩れるのもフリだとわかっているのでそんなものにいちいち構わない。比較的古参に位置するエミヤだからそう振舞えたのだが、「彼女」はその悲哀を孕んだ声を聞き逃せなかった。
「なんだマスター、鰻を食いたいのか?」
 振り向いた彼女が捉えたのは茨木童子の顔だった。まばゆい金糸の髪が、傾げた首に伴って揺れる。鬼の首魁でありながらどこかあどけない幼女のような雰囲気がある彼女は、なかなかどうして情深いところがある。
「食べたい、鰻、食べたい」
 マスターの瞳は切実だった。それゆえどうにかしてやれないかと腕を組んで思案してしまう。希う対象が鰻というのは情緒に欠ける気もしないではないがそれはそれだ。
「鰻、鰻なあ……」
 厨を預かる英霊(……ものすごく違和感のある文面だ)がないと言うのならないのだろう。代用できるものがあればいいが、似たような魚というのは――
「おお、マスター。吾は思い出した、思い出したぞ!」
 あった。あるじゃないか。
「えっなに? 鰻あるの?」
 得意げに胸をそらせる茨木童子を、喜色満面のマスターが見上げる。
「鰻はない。ないが、こういう話があったろう? 死人の髪を抜いた老婆が言っておったわ、干魚と偽って蛇(くちなわ)を切って干した――」
 日本が誇る文豪がつむいだその話はマスターもエミヤももちろん知るところ、即座に顔が青くなる。
「ストップ!! ノー!! やめよう!!」
 これはアカン。両手を前に突き出して拒否の意を示すマスターに、茨木童子はあからさまに不満げな顔をした。
「せっかく思い出したというに」
「き、気持ちはありがたいけど蛇だって調達するの大変じゃないかなあ!?」
「む……」
 言われてみれば本来食用の鰻だってないのだから、食用でもなんでもない蛇が手に入るわけはない。まあカルデアなら魔術用のがいくらかストックされている可能性は否定できないが、そんなものを食らうのは心底御免被る。
「しかし鰻が食いたいのだろう?」
「いやぁ、そういえば土用の丑の日ってべつに鰻じゃなくても「う」がつく食べ物ならなんでもいいらしくって」
 きょとんとした顔で金色の目が見開かれた。
「そうなのか? 梅干でも?」
 鬼の首魁ともあろうものが、ずいぶん質素にきたな。と、エミヤは笑いをかみ殺した。マスターは話がそれてほっとしたのか、その言葉尻に乗っかっていく。エミヤも追従してやることにした。
「いいよいいよー! 梅干いいんじゃないかな!」
「では卯の花でもよかろうし、ううむ……」
「うどんでもいいだろうな」
「薄皮あんばん!」
「そんなものもアリなのか……?」
 鬼種ゆえかいささか認識が異なるのだろう。茨木童子の興味津々の顔にマスターはにっこりと笑う。
「アリだよ! なんでもアリ! 食べたことない?」
 悪意ない笑みに、大きな目が翳る。
「ない。あんぱん、というのは、甘い餡が入った菓子だろう? 吾の時代には甘い餡などなかった……」
 知識だけは召喚時に与えられるのだろう。聖杯戦争のために現界したサーヴァントが聖杯から知識を与えられるのと同様に。(あんぱんの知識が与えられるというのもどうかとは思うが。)知っていても口にしたことはない、と、やや寂しげに溢す彼女は、それを口にしたらどんな顔をするだろうか。
「じゃあ作ろうか」
 少しだけいたずらっぽく笑うマスターに、エミヤも苦笑しながら頷き返す。
「作ってくれるのか!?」
 ぽうと頬を赤らめた茨木童子に、しかしマスターは手厳しい。
「ノー。働かざるもの、食うべからず! 食べたい人には手伝ってもらいマース」
「手伝う! もちろん手伝う!」
 奇妙な片言で人差し指を揺らすマスターと、勢いよく首を縦に振るサーヴァント。人と鬼、なんとも奇妙な取り合わせだが、その光景はきわめて牧歌的で優しい。
 しかしマスターの料理のセンスは致命的に壊滅的だ。茨木童子のほうもおそらく、そもそも料理をしたことすらないのでは?
 どうにも悪戦苦闘しそうな予感を抱えながらも、エミヤは少女たちの会話がどこか心地よかった。
 ちなみに土用の丑の日って今日じゃないのでは? という疑問には蓋をして。