ゲームは一日一時間

 メッキが剥がれるとか地が出るとか、そういう類いのげんはこういうことに違いない。と、立香は溜息を吐いた。
 対象は現在ベッドの上にだらしなく寝そべり、家庭用ゲーム機のコントローラーを手に画面に食いついている。ゲーム自体は立香も嫌いではないし、上手い人が遊んでいるのを見るのもわりに好きなほうである。それはいい。問題は彼の格好だ。普段はパリッとスーツを着こなして、それも立香が今までに会ったどの男性よりもかっこよくスマートで、上背に恵まれスタイルも顔も良く立ち居振る舞いはパーフェクト、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花……というのは違うかもしれないが、とにかくロード・エルメロイⅡ世は文句のつけようのない紳士だ。
 それなのにどうだろう。ゲーム中の彼は髪もボサボサの無精髭で上はタンクトップかTシャツ一枚、それはいい。問題は下。パンツ一枚、もちろんボトムスという意味のパンツではなく、下着、アンダーウェア、パン一なのだ。
 別に他人がプライベートな空間でどんな格好をしようと立香は構わないのだが、仮にもカワイイカワイイ彼女が来ているのにその格好はどうなのだろう。なんかくたびれて色もあせかけているし。ゴムもだるんだるんなのでは? 大体、勝負パンツとかないのだろうか? ないのだろう。そうであってほしい。勝負パンツがあるのに穿かない、つまり勝負パンツを披露するだけの女と思われていないよりはそもそも持っていないほうがダメージは軽い。
 閑話休題。パンツのことはおいておく。
だらしない格好はそれだけ気を許されていると言えなくもないし、五百歩ぐらい譲れば喜ばしいことなのだと思えなくもない……かもしれない。たとえベッドの上に、食べ物飲み物煙草に灰皿モバイル端末を持ち込んでぐっちゃぐちゃに汚していても、画面の中の気に入らないことに口汚く罵っているのを聞いても、まあこのくらいならと惚れた欲目を発揮していた。多少は改善してもらいたい気持ちもあるが。
 問題なのはゲーム中の彼の態度だ。立香がちょっかいを出そうとすると全力で嫌がる。曰く、気が散るなんてレベルじゃない、らしい。髪に触るのも駄目だし、ひどいときには話しかけても「ああ」とか「うん」とかしか返ってこない。そのくせ自分は立香を抱き枕のようにして寝そべってプレイすることもある。自分がされるのはいやがるくせに。完全に都合のいい扱いをされて不本意なのだが、そういうことは多くはないし(二人でいるときは対戦タイプのゲームをすることが多いのだ)、残念ながら立香も抱きかかえられるといつの間にか暖かさの中で寝落ちして、朝まで抱きしめられたままぐっすりコースなのでこれはこれで悪くないな、なんて、要するにほだされてしまっていた。
 だがそれも今日までだ。ここらで矯正しておかないとまるでダメなオッサンになってしまう!
 という謎の使命感と憤怒の炎を浮かべる立香の前で、相変わらずエルメロイⅡ世はだらしない。皺の寄った白と青の縞パンからは嫉妬したくなるほど長い足が伸びている。それはそれとしてあんなにだらしなく脚を広げていると、
「先生、パンツの中見えますよ」
 なんて事態になりかねない。今更キャーキャー騒ぐほどではないが、エチケットというか親しき仲にもというか、こう、あるだろう! と、立香は叫びたい。
「ああ」
 案の定の生返事。だがこのくらいでめげるようではカルデアのマスターは務まらない。必要とあらばBBちゃんの煽りをモノマネだってしてみせよう。
「えー? もしかして見せてるんですかー? もーっ、先生ったら真っ昼間からお誘いなんt」
「ちょっと静かにしてくれ」
 ピシッ。
 何かに亀裂が入ったような幻聴を立香は聞いた。
 大丈夫。まだ大丈夫。落ち着け立香、落ち着いて対話を続けるのよ。
 言い聞かせ、冷静を保つために素数を数えながら立香はベッドに近寄る。
「先生、せめて、下は、穿いてください」
 思ったより自分は余裕がないのかもしれない。言いながら立香は意外に感じていた。それを自覚するとふつふつと怒りがわき上がってくるようで、素数カウントが加速してしまう。それが七十九を突破したとき、決定打が振り下ろされた。
「ああ、後でな」
 それは休日のお父さんの決まり文句であり、もっと格式張ったなら政治家の「前向きに善処いたします」とでも言えるだろう。つまり、彼にはそうする気がないわけだ。おまけに話の中身も聞いていない、イコール立香が何を言ったのかも理解はしていないだろう。これ以上何を言っても無駄。それはわかる。しかしわかっていても許せないことは許せないのだ。
 ぷちん。
「い、いい加減にしろーーっ!!」
 爆発した。立香の堪忍袋は木っ端みじんに爆発四散した。唐突に上がった雄叫びにはさしものロード・エルメロイⅡ世も驚くし、咄嗟には何も言えない。
「な……」
「毎回毎回そんなだらしない格好して! パンツだって毎回同じやつだし! 勝負パンツとかないんですか!」
「勝負……? は? いや、どうした?」
「どうしたもこうしたもなーい! 怒ってるの!」
「それはわかるが……ちょっと落ち着け――」
「やかましい! わかってるならちゃんと話聞いてよ!! 馬鹿! 先生の馬鹿!! この廃人!! そのうち部屋にペットボトル持ち込んでトイレまで済ませちゃうんだ!! キモイ!!」
 烈火のごとく怒り狂うとはこういうことを言うのだろう。暴走機関車のように手のつけられなくなった立香に、ようやく彼はコントローラーを手放した。まだ持っとったんかワレとすごみたくなるのだが加熱しすぎた興奮のせいで冷静さはどこかにすっ飛んでしまい、怒るはずが泣けてきた。
 一方勝手に顛末を想像された挙句「キモい」と言われたエルメロイⅡ世のほうはショックを受けつつ、涙目で睨んでくる立香をどうしたものかとおろおろしていた。風評被害に異論を唱えるべきだろうか、混乱した頭に名案は浮かばない。
「ぺ、ペットボトルは持ち込まない!」
 とりあえずそれだけは絶対にしないし考えたこともないぞと意思表示してみるが立香はそんなことではほこを収めるわけもなく、それどころか顔を真っ赤にしてくしゃりとゆがめて、ついには「えーん」と泣き出してしまった。
「りっ、ええ……?」
 エルメロイⅡ世は、どうしたらいいのかさっぱりわからない。抱きしめて宥めてやりたいが、彼女の怒りの対象は自分なのでうかつにそうすると「触んないでよ!!」と火に油を注ぐ結果になりかねない。ので、やはりどうすることもできずに手をこまねいて見ていることしかできなかった。
 立香は立香で混乱していた。泣き出してしまったのはまずかったと思うし、子供みたいでみっともない。そもそも怒ったりせずにちゃんと話し合って歩み寄りをするべきだった。話だってゲームをしているときじゃなく、それが終わったときにすればよかった――と、いくらか冷静を取り戻した頭で反省してみるが、まるで涙腺の支配権を誰かに奪われたように涙は止まらないししゃくりあげることもやめられなかった。
 どうしよう、先生が困っているのに。
 触れようとして逡巡しているのか、両手が宙に浮いたまま固まっている。だらしなく、到底かっこいいとは言えないその姿ですら、立香は嫌いになれなかった。
「せんせいのばか」
 自分だって負けないくらい馬鹿だと思う。結局どんなふうになったって、何をされたって好きでいることしかできない。立香は睨むけれど、涙で滲み、ぐにゃりと歪んだ視界では、彼がどんな顔をしているのかこれっぽっちもわからなかった。
「……すまん」
 張りのない声だった。反省しているのかそうでないのかちっともわからない。でもそんなことはどうだっていいのかもしれない。
「泣き止んでくれ、その、私が悪いというのはわかるが……ああ、どうしたらいい?」
 弱り切った声が愛しかった。でも、悪いのはわかっても「どうして」悪いのかはわかっていないに違いない。ちょっとだけ、いじわるをしたくなる。
「そんなのじぶんでかんがえてよ……」
 ごしごしと目元をぬぐうと、やっと視界がはっきりする。しょんぼりとした愛しい顔が困り果てているのを見て、立香は少しだけ溜飲が下がった気がした。意地悪な言い方かもしれないけど、そのくらいは許されてほしかった。
エルメロイⅡ世は少し考え込むように目を伏せて、立香の手をとって引き寄せる。
「ごめん、立香」
 そのまま立香は彼の両腕の中に収まって、よしよしと頭やら背中やらを撫でられる。あたたかくて、やさしい。やっぱり好きだと思い知って、悔しいやら嬉しいやら――
「うっ……!?」
 鼻をすすった立香は硬直した。への字に曲がった口が辛うじて言葉を紡ぐ。
「先生……最後にお風呂入ったのいつ……?」
「は? 風呂? 風呂なら……ああ、確か三日前に」
 最後まで聞くことはしなかった。立香は勢いよく戒めを振りほどきベッドから離れて顔を引きつらせる。
「くさい!!」
 煙草のにおいのせいで気づかなかったが、近くによるとすっぱいような汗のような名状しがたき異臭に見舞われた。いくらなんでもこれはひどい、ゆるせない。
 立香は首を横に振りながら後ずさり、エルメロイⅡ世はといえば、ショックのせいか情けない顔になっていた。沈黙の二人の間に、ゲームの音楽だけが流れる。
「し、信じられない……ありえない……!!」
 首を横に振りながら完全否定されている。これにはエルメロイⅡ世も動揺した。
「あ、ありえないって、そんな……」
 三日風呂に入らないくらいでそこまで言われるほどのことだろうか?
「ありえない! 汚い! くさい! 最低!!」
 まさに汚物を見る目。いくらなんでもひどすぎる。エルメロイⅡ世は半分、泣きそうだった。というか実際涙目だった。
 立香の追求は止まらない。
「入って!! 今すぐ!! お風呂入って!!」
 さっきまでよりもずっと激しく要求される。バスルームを力強く何度も指差す立香は確かに怒りの形相で、ゆえに動転して彼はうかつな、そして愚かにもほどがある一言を口走ってしまった。
「は、入る! 入るから……このステージが終わってからでいいか?」
 瞬間、立香の顔から表情と言うものが消えた。それはまさしく虚無と呼べそうなものだった。あるいは、真っ白い仮面なのかもしれない。
 貴様、そこまでゲームが好きか、何はなくともゲームだと言うのか、わたしとゲームどっちが大事なの――そんな幻聴すら一瞬聞こえたようだった。
 ヤバイ。そう思ったときには既に遅かったのだろう。立香は感情のない笑みを浮かべる。
 正直めちゃくちゃ怖い。
「いいよ、終わってからで。終わったら……ちゃんと入ってくれるんだよね?」
 立香はその場に蹲る。彼女の手は一点を目指し、黒いコードの先端を掴んだ。
 さっとエルメロイⅡ世の顔から血の気が引く。
「ま――待て!! 早まるな!!」
 それが何かなんて説明はもはや不要。コンセントに差し込まれた電源プラグを片手に、立香は相変わらず無表情だった。
「いいか立香落ち着け、それから手を離すんだ、ああ引き抜くんじゃないぞ? そんなことをしたならデータというデータが、」
 まるで人質を取った犯人を説得するような口調だった。しかし得てして覚悟を決めた人間に、その場しのぎの説得など通じないものである。
「わかった! 今すぐ止める! 止めるから、頼む、データを、セーブデータだけは……」
 もはや泣き落としだった。後生だからそれだけはと土下座せんばかりの勢いで縋るエルメロイⅡ世の姿にいくらか気が晴れたのか、立香は凶行を思いとどまったらしい。間一髪、首の皮一枚繋がった。
「うふふ、先生ったらそんなに慌ててどうしたの? 私もいっしょにお風呂に入るから大丈夫だよ……頭のてっぺんからつま先までキレイキレイしようね?」
「そんな……こどもじゃあるまいし……」
 何が悲しくて立香に体を洗われなければならないのか。一蹴しようとするも、恐怖のアルカイックスマイルに阻まれる。
「それともオキシドールバケツでじゃぶじゃぶがいいかな?」
 ――国民軍の拷問風景。某ランサーがそう評した場面が脳裏を掠める。たとえ立香自身にバケツじゃぶじゃぶをする力はなくても、拷問風景の再現は可能だ。なぜならバケツじゃぶじゃぶは何も立香の手でやらなくてもいい……そう、ナイチンゲールを呼べばいいのだから。ナイチンゲールなら喜んでその役目を果たすのだから。……そうなったら事態はさらに悪化する。「殺菌!」そして「消毒!」のコンボで皮膚の常在菌まで駆逐されるのではないか。さらには自分の体だけでなく、あの最狂看護師はこの散らかった部屋を同じく殺菌&消毒し文字通り一掃してしまうのではないか。そして後にはペンペン草も生えない清浄もとい荒涼の部屋が――
「一緒に入る……」
 もはや選択肢など残されてはいなかった。コントローラーを操作しセーブデータを作成しながら、背中で立香の上機嫌な声を聞く。
「うんうん、これからはちゃんと毎日お風呂にはいって、ゲームは一日一時間にしようね」
「い、一時間……」
 それじゃ何もできやしない……せめて、せめて三時間――などと抗弁できるはずもなく、悲しみのロード・エルメロイⅡ世はただ項垂れるだけだった。