仲直りをしようか


1.


 引き攣ったような甘い悲鳴と、衣擦れと、湿った水の音。薄暗い部屋の中は秘すべきもので満たされていて、何者をも寄せ付けない猥雑に溺れていた。私は立香を組み敷いて、彼女の淫らをさらけ出し、享受している。彼女の生み出すすべては彼女の中にあったもので、このすべては同時に、私が見出し開花させたものでもある。それは私にいつも、果てしない満足感と、一抹の罪悪感をもたらしていた。
 そして私は、それらが一緒くたになって、罪悪感を覚えるほどの罪業に満足しているのではないかと恐れてしまうようになった。清廉潔白だとのたまう気は毛頭無いが、自分が歪んだ欲にまみれて汚れているのでは、という強迫観念はじわじわと私を蝕んだ。
それから逃げることは簡単だった。それは心地よい手段でもあった。立香が感じ入るほどに私は安堵した。これは彼女も望んでいることなのだと理解できたからだ。そう、立香が悦んでいる。

 つまりこれは、悪ではない。

「あ、ああ……いや、だめ……」
 その音は拒否を意味しない。立香の中に潜り込んだ指を、一本ずつ蠢かせてはまた嬌声を聞く。熟れすぎた桃のような粘膜を撫で回し、快楽を教え込んだ場所を擦り上げる。首を横に振っているのも、つま先がシーツを乱しているのも、許容量を越えそうな快楽から逃れようとしているからだと、私は知っている。私は立香のことをよく理解している。どこをどうされたらいいのかも知っている。あどけない仕草の意味も知っている。知らないわけがなかった。俗な言い方であるのは否めないが、私が女にした、唯一の存在なのだから。
「脚を開いて……」
「ん……っ」
 仰向けの立香の脚を開き、もっと深いところまで指を曲げながら入り込む。じっとりと濡れた内側に喉が鳴るし、指ではないもので貫きたくもなる。それを堪えて唇を噛む私をまねるように、立香も下唇をきゅうと噛んでいた。愛らしい。そんなに、いいのか。
「ね……せんせ、わたし、イったよ……?」
 一度絶頂したのに何故、と、言いたげな瞳を見た。読書灯の頼りない光の下で立香の目は濡れていた。その無意識な媚態すら私を刺激し、昂ぶらせる。私はこのからだの前では、ただの雄に成り果てる。
「別に、一度きりじゃなくても、いいだろう?」
 女の体は何度でも上り詰める。そのたびに快感を増し、絶叫し、それが私を加速させる。どこまでも、何度でも、極まっていく立香を、私は見たかった、感じたかった。それだけの意思で指が動く。まるで海棲の軟体動物のように不規則で、不揃いの愛撫だった。
「や、あ、ん……も、ぉ……」
 困惑したような鼻にかかった吐息に口元が緩む。もっと感じさせたいと思う。
 指先はぐりぐりと粘膜を押し、擦り、手のひら側、指の付け根の関節で絶頂した蕾を軽く押しつぶす。
「は、ああっ! やだっ、いや、あう……っ」
腰をがくがく震わせ、懸命に快感に抗おうとする様が愛おしい。もっと乱れる様が見たい。私の手によって私以上に淫らに振る舞う立香が見たい。
「っ、や、だめ、せんせ、やめて、なんか……あ、っ、へん、なの……」
 異変を訴える立香の上で、私はしたり顔をしていただろう。何かを狙い、それが得られるというのは良かれ悪しかれ達成感で満たされる。
「だめ、だめ、なんか出ちゃう、あっ、ああっ、いやっ!」
「おかしくない。出して、いい」
 未知の感覚に怯える立香は本当に可愛い。すっかり充血してやわらかく指を締め付ける粘膜が戦慄く。その度に立香は首を横に振り、懸命に抗おうと身を捩る。
「やだっ、やめて、せんせい、こんなのやだよぉ、っ!」
「ああ……立香……」
 とうとう目尻から透明な雫がこぼれた。立香の背は弓なりにしなって、ああ、絶頂が近いと理解した私の指は予想していたよりもずっと的確に、攻め立ててしまったのだろう。
「いやあっ、でちゃう、っふ、うう、ああああっ!!」
 泣きじゃくる立香は、透明な迸りを私の手のひらに放った。熱い奔流は私の手首までを濡らし、さらさらとシーツの上に落ちていく。間欠泉のように不規則に叩き付けるリズムは、もう何度も味わった彼女の絶頂によく似ていた。
 そのときの私は正直に言うと立香を新たな絶頂へと押し上げた満足感だけに支配されていた。何も知らなかった立香に何もかもを教えてきたこれまでと同様に、私はまた一つ、彼女に「悪いこと」を教えたのだと信じてやまなかった。
 片方の頬をシーツにつけて息を荒げている立香を見下ろして、私はまだ一度も解放していない自分のそれを、怯えたように震える彼女の中心に押しつけた。粘度の低い体液で濡れたそこは、それゆえに私の侵入を容易にはしてくれなかった。拒まれていると言ってもよかったかもしれない。けれど、それが嬉しくもあったのだ。醜悪な姿に成り果てた私は、無理矢理に立香の体を開いていくことに薄汚い悦びすら感じていた。
「……ん」
 根元までが彼女の中に収まると、充足感に思わず息が漏れてしまう。これまでに二度達した立香、対して触れることすらされなかった私。結果は言うまでもなかった。無遠慮に腰を動かし始めた私は、見苦しいほどに快楽に溺れていた。
 だからしばらく、気づけなかった。
「……立香?」
 いつもなら私の体、あるいは寝具にすがりつきしがみついている立香の四肢がぐったりと投げ出されていることに。
「立香、どうした――」
 脱力しきった片手を取っても、握り替えされることもない。さすがにおかしい。私は動くことをやめて、立香の目元を隠していた前髪を払いのけた。
「り、」
 絶句した。
 立香の目元は見たことがないほどに涙に濡れていた。それだけではなかった。彼女はずっと、泣き続けていた。時折肩を震わせながら漏らす嗚咽の合間に、ぽつぽつとか細い声が聞こえる。

「……やめて……いや……」

 血の気が引く思いだった。いや、実際、血の気が引いた。
 立香の訴えは、力でねじ伏せられた相手に、それでも必死で拒絶を訴える声色だった。そのとき私は、少なくとも立香にとっては、彼女を愛し、彼女を慈しみ、彼女を優しく抱く男ではなかった。彼女の意志を殺し、彼女を無理矢理に暴き、そのすべてを否定する暴漢だった。
「……嫌だって、やめてって、言ったのに」
 すすり泣く声の合間に立香は痛ましく言葉を溢した。
 言い訳がましく見苦しいが、私は立香が本当に嫌がっているなどとはまったく、毛筋ほども思ってはいなかった。恥じらっている自分を懸命に隠し、快楽に抗おうとしている、いつもの彼女だと思っていた。
 気づけなかった。いや、気づこうとしなかったのだろう。自分の欲に没頭していたかったがために。
 私は立香を傷つけてしまった事実と、自分の浅はかさを恥じた。これは許されないことだった。そっと立香から体を離しながら、私は何を言ったらいいのか、何をすべきなのか、全くわからなかった。
 本当はその頬に触れて、涙を拭って、震える体を抱きしめたかった。けれどそれが今の立香にとってなんだと言うのだろう。彼女を痛めつけたのは他ならぬ私だ。その私に一体、何の資格があると言うのだろう。
いっそ殴って欲しかった。いっそ詰って欲しかった。それでも立香は静かに涙を流し、独り言のようにしか悲しみを口にしない。それだけでなく、こちらを見ようともしない。それは憎悪によるものだろうか。それとも――
叫びそうだった。頭を冷やしたかった。
「……シャワーを、浴びてくる」
 情けない。
私はそれだけしか言うことができなかった。ベッドを降りながら、まるで上演中に台詞をとちって舞台袖へ逃げ出す演者のような恥辱を味わっていた。
 
「どうして……」
 それがどちらの言葉だったのか、私にははっきりとはわからなかった。
 おそらくお互いに、「どうしてこんなことになってしまったのだろう」という後悔と悲しみがあったのだと思う。私はそう信じたかったが、バスルームから戻り、がらんどうの部屋を見たときには、その場に立っているだけで精一杯だったのだ。



2.


 うっすらと細めた目でわたしを見下ろす彼を、恐ろしいと思ったことは罪悪だろうか。
 先生はわたしをよろこばせようとしていたのだと思う。でも、それはわたしにとって好ましいことではなかった。快感だったかもしれない感覚はどんどん未知の焦燥感に変わっていった。排泄の兆しのようなものだと思った瞬間、わたしは懸命に、それから逃れようとした。だって、人前で、愛しい人の前で、粗相なんてできるわけがない。なのに先生の指先はそれを促すように暴れて、わたしを追い詰める。
 いやだ、やめて、はなして。
 全身でそれを訴えたつもりだった。
 なのに、解放されたのはもうすべてが終わった後だった。
 わたしはわたしの意識とは裏腹に、まるで反射行動のように迸るものを認識していた。靄のかかったような頭の中で、ぼんやりとした失望を感じていた。
 こんなみっともない様を晒して、平気でいられるわけがなかった。合わせる顔がない、恥ずかしくて死んでしまいそうだ。

 どうしてこんなことをさせるのだろう。

 だんだん、腹が立ってきて、気づいたら泣いていた。
 彼がわたしのなかに入って来たことも、気づいていなかったわけではない。ただ、わたしの感じやすいそこは痺れたように麻痺していた。感情の昂りと無理矢理な行為のせいで感覚が鈍っていたのかもしれない。
 何も、感じなかった。物のように扱われている自分を、醒めたわたしと激昂するわたしがそれぞれ眺めているようだった。
 早く終わってほしい、とか、やめてほしい、とか、その時はもう思いつかなかった。ただ、この人はわたしをこんなふうに扱う人だったのだろうか、という疑問と、この人の意図する要求に、おそらく適切に応えられていないわたしは駄目な女なのだろう、という諦観について考えていた。
 その一方で、けれど、わたしはみっともなく希望にすがってもいた。
 先生はこんなことしない。先生はわたしを大切にしてくれる。先生はわたしの嫌がることなんてしない。

 本当に? 現にいま、わたしはとても嫌だと思っているのに?

 だから無意識に、拒否の言葉をつぶやいていたのだろう。気づかれても気づかれなくても、どちらでもよかった。今となっては、気づかれなかったほうがよかったのかもしれない。
 わたしの涙に気づいた先生は、絶句しているようだった。何を思って絶句しているのか図りかねたから、わたしはその顔を見なかった。見るのが怖かった。そこに罪悪感があったとしても、「つまらない女だ」と言いたげな顔があったとしても、同じくらいに怖かった。
 結局先生はそれ以上わたしのからだに触れることもせず、ただ一言「シャワーを浴びてくる」と言い残してベッドを降りた。
 これで、おしまい。
 ああ、満足させられなかったのか。
 体が震えていた。恐怖なのか憤りなのかわからない。
 後悔、そうかもしれなかった。
 例え嫌なことでも、望まれているのなら応えるべきだったのだろうか。気分が悪くなるほどに濡れたベッドシーツに触れながら恥らってでもみせればよかったのだろうか。
 涙は止まらなかった。
 いくら好きでも、魂まで売り渡すのは間違っていると信じたいのに、そうしなかったことでわたしはおそらく、向けられていた愛情のすべてを失ったのだと思った。いいや違う、そんなことはない、ありえない。わたしの拒絶ですべてを見限るような、そんな身勝手な人じゃない。わたしは信じたい。なのに、疑ってしまいそうになるのが悔しくて、恥ずかしかった。

 こんなことは間違っている。
 だけど、間違っているのは誰だろう。
 こどものわたしが、おとなの彼のすることを嫌悪しているのは、望ましくないことだろうか。
 おとなの彼が、こどものわたしを導くことは、許されないことだろうか。

 もう何も考えたくなかった。
 かき集めた衣服をなんとか身に着けて、わたしは転がるように部屋から逃げ出した。
 自室で体を清めると、ベッドにもぐりこみ、泥のように眠った。眠ってしまいたかった。
 もう二度と朝なんて来なければいいと願った。そんなことは不可能で、たとえわたしが今死んでしまっても、世界は何も意に介さぬ顔で続いていくのだと知っていた。
 先生もそうなのだろうか。わたしがいなくなっても、特に何も感じることもなく日々を過ごしていくのだろうか。
 そう考えたら、悲しくて、腹が立った。先生を疑ってしまうなんて、したくなかった。こんなふうにどろどろとした気持ちになってしまうのは、誰のせいなのかわからなかった。
 わたしが何も知らないから? 先生が意地悪だから?
 清潔な、乾いたシーツは、あっという間に涙に濡らされていった。



3.


 立香は走っていた。暗い路地を、息を切らせて走っていた。ゴミと残飯の散乱した汚らしい地面、そして下品な落書きと張り紙で覆われた猥雑な壁に囲まれた空間。鼻の曲がるような臭気の充満した場所は彼女には似合わない。私はただ願うことしかできない。この声は、きっと彼女の耳には届かないから。

 早く、逃げろ。早く、早く、早く――。

 それなのに、立香が行き着いた先には、到底越えられない高さの壁がそびえていた。つまり、行き止まり。背後には追跡者の気配が迫っている。悪意に塗れたそれから逃れることはできない。腕を掴まれても、悲鳴を上げることすら彼女にはできなかった。乱暴に地面に転がされても、抵抗することができなかった。
 圧倒的な恐怖と、矛盾した受容のせいだった。怖くてたまらない、嫌悪感で涙が滲む。それでもこれを受け入れるほうがまだマシだという確信。抵抗すれば殺されるかもしれない。この体を暴かれるよりもずっとつらいことが降りかかるかもしれない。だから甘んじて耐える、受け入れる。
 私には、そう見えた。そうできる彼女が強いのか、よくはわからない。
 おぞましいものに貫かれ、揺さぶられながら、立香はひたすら耐えていた。これは嵐のようなものだ。いつか過ぎ去って、すべて洗い流される。これは自分の意思の及ばぬものだ、仕方のないことだ。胡乱な目がそう言い聞かせているように見えた。けれど少女はたった一言だけ、この理不尽に訴える。

「どうしてこんなことするの、先生――」

 その瞬間、すべてを思い出した。

 あれは私だった。
 あれは紛れもなく私だった。
 嫌がる立香の意思を無視して汚らしい己の欲をぶつけた。自分のことしか考えていなかった。立香だって喜んでくれるはずだと自分本位の思い込みを押し付けた。
 私のせいだ。
 私のせいで立香が汚れた。立香は傷ついた。
 もう戻れない。もう許されない。もう愛されない。
 私は、取り返しのつかないことをした――

 悪夢だと笑い飛ばすにはあまりにも、生々しいものだった。

 跳ね起きた私の全身がじっとりと濡れていた。長い距離を走ってきた後のようだった。ばくばくと暴れ回る心臓が不愉快で、そこに酸素を送り込むために荒々しく呼吸を繰り返す自分が情けなくて、油汗に塗れた体が何よりも醜悪で汚らしく思えて、その場で慟哭してしまうところだった。
 許されるわけがない。
 ほとんど這いつくばったまま移動した先はバスルームの隣だった。辛うじてそこまでもったのは、こんな私にもまだ矜持というものがあったからだろうか。便器の蓋を開けようとする手は二度空振りした。無様だった。自分にお似合いだと思ったら、笑いの後にすっぱいものがせり上がってきた。
 許してもらえるわけがない。
 嫌悪、憎悪、贖罪。
 胃液を吐き出しただけなのに、ずいぶん長くせき込んでいた。口から鼻からだらしなく垂れ流して、目の前はうつろに滲んでいく。なんと情けない姿だろうか。あまりに馬鹿馬鹿しくて、しばらく便器の前に座り込んで水面にぼたぼたと流れていくものを見ていた。嗚咽なのか、単に嘔吐感でえづいているだけなのかよくわからなかった。どっちにしろ、私は目を背けたくなるほどに無様で醜悪な罪人だった。

 どうやってこの罪を裁こうか。
 どんな罰で贖うことができるだろうか。

 わからない。
 できるならすべて立香に委ねてしまいたかった。彼女の手で断罪される、それが叶うのなら、魂を売り渡してもいい。もはや証明すらできぬ愛を、かつてそう呼べた物を、私は必死にかき集めようとしているのかもしれなかった。

 どれくらい、そこにいただろうか。
 何かが、背中に触れた。
 羽のような軽さで、優しく柔らかく暖かくそれは私の背中を撫でた。

 どうしたの、先生、だいじょうぶ?

 立香の声が聞こえた。ついに耳までおかしくなったのかと思った。
 こんなところに彼女がいるわけがない。こんなにやさしく触れられる理由がない。それを理解しているくせに私はまだ立香を求めているのだろうか。私はまだ、彼女に愛されていたいと願っているのだろうか。
 思い上がりも甚だしい。愚かしい。頭では理解できていた。それでもそこに光があるのなら、人は手を伸ばしてしまうのだろうか。私は声のするほうを振り返った。
 そこに立香はいた。
 部屋の照明を逆光にして、立香は私を穏やかに見つめていた。

「先生……ああ、ひどい顔。どうして?」

 幼いこどもをあやすような柔らかい声だった。
 幻覚か。願望が極まってこんなものまで作り出すようになってしまったのか。

「――ほっといてくれ」

 見ないでくれ、触れないでくれ。私は汚らわしくて、愚かで、無様で、もう君の前にいられない。こんな自分でもまだ、それが恥ずべきことだと理解するくらいはできるのだ。ああ、だからそんなふうに、喘ぐ背中を撫でないでくれ。汚れた顔を拭うなんて、しないでくれ。私には、
「きみに、ふれられる資格が私には、ない」
「なあに、それ」
 立香は困ったように、小さく笑っていた。清潔なタオルで汚物に塗れた私の顔を拭き、ミネラルウォーターのボトルを用意してくれていた。私の返事がなかったから勝手に入ったことを詫びて、汗やら何やらでべたべたになった私の髪をそっと整えようとしてくれた。
「なにしにきたんだ、だいたい」
 惨めだった。こんなに惨めなことがあるだろうか。私は彼女を傷つけ、痛めつけ、そうしたはずの彼女からいたわりを受けている。立香になぜこんなことができるのかわからなかった。私のことを憎んでいるんじゃないのか。私を恐れているんじゃないのか。私を許してくれるのか。
 私を、愛してくれるのか。

「先生のこと、叱りに来た」

 そう言った立香の顔を見ることができなかった。怖かった。情けない。嫌なことから目を背けて、やるべきことから逃げて、まっすぐな立香を見つめることが恐ろしくてたまらなかった。しかし、そのまなざしに焼かれて灰と消えることができたなら、どれだけよかっただろうか。
「でもね、怒ろうとしたけど、もういいの」
 立香の両手が私の頬を包んでも、私は視線を逸らし、逃げたままだった。謝らないといけない、わかっているのに、鉛を呑みこんだように胸は重く、喉も舌も唇も凍りついたように動かなかった。
「もういいよ、先生、こんなふうになってたら、わたしもう怒れない」
 立香の声が震えていた。泣き出しそうな声だった。
 どうして。
 そんな声で何を言うのだろう。優しくされるほうがよっぽどつらい。いたたまれなくて、消えてしまいたくなる。
 私は結局、この期に及んで自分のことしか考えていなかった。そんな言葉をかけてくれる彼女のことなど、考えてもいなかった。
 放っておいてくれ、一人にしてくれ。もう嫌ってくれて構わない。私は君にふさわしくない。
「ねえ、こんなになるまで思い詰めて、自分を責めて、これじゃわたし、怒れない」
 許さないでくれ。愛さないでくれ。
 ああ、けれど一人にはなりたくない。君に見捨てられることがひどく恐ろしい。結局私は――
「きみに、ひどいことをした」
 立香は、一つだけ頷く。笑いながら、涙を湛えて。
「でも可能なら、信じてほしい、私は、君を傷つけるつもりはなかった。君を愛しているから、君をもっと愛そうとして――」
 白々しい言葉だけが滑り落ちていく。こんなことなら黙っていたほうが万倍マシというものだろう。それでも、
「本当に、すまなかった……もう、許してくれなくて構わない」

 それでも私は、結局許してほしいのだ。愛していてほしいのだ。
 すがるように額を擦り付けると、立香の腕に包まれる。

「好きよ、先生、大好き。先生が許さなかったら、わたし以外の誰があなたを許せるの……?」

 いつの間にか、頭ごと抱きかかえられていた。
 立香の腕の中はひどくあたたかくて、体中の力が抜けていく。
 食いしばっていた奥歯が楽になった。やわらかな暗闇の中で、私はそれに必死にしがみついていた。
「だいじょうぶ、ちゃんとここにいる、ね」
 どこからか水の流れる音がする。
 私は溺れまいと必死だった。私を抱く二つの腕を、懸命に手繰り寄せていた。

× ×

 髪の間を指がすり抜けていくのを、鈍い触覚だけが感じ取っていた。細く柔らかな指が私の髪をすくい、両の手のひらで挟み包むようになめらかに扱いている。そのいたわりは私にはもったいないほどに丁寧な仕事だった。
「ちゃんと洗わないとね、汚れちゃったから」
 立香の声は私の背後から聞こえていた。顔も髪も服も、無様に汚した私は彼女によって浴室の中に押し込められている。先ほど聞こえた水の音は、白い浴槽に湯をためているそれだったのだろう。あたたかな湯気が浮かんでは消えていくのを、ただ漫然と眺めていた。返事をすることもできなかったし、しようとも思いつかなかった。自覚以上に消耗しているのだろうか。あるいは――
「先生はこんなにきれいなんだから」
 私の髪を洗う立香の指は、泡立ったシャンプーに助けられ、なんの滞りもなく動かされている。浴室で頭を洗われている私は(そして彼女も)当然裸に剥かれているのだが、今までに感じたことのない居心地の悪さだった。清らかなものの前で醜悪な己を見せなければならない羞恥。
 きれいだと君は言ってくれるが、わたしはそうは思わない。
できることならこの場から逃げてしまいたかったが、背中を丸めて萎縮しても、立香は許してはくれなかった。
「はい、目、閉じて。流すよ」
 肩を押さえるように置かれた手にすら、私は怯えていた。怯えていたが、同時にそれに縋りたかった。しかしその手を握り返したところで、私は己の矮小さと醜悪さを思い知るだけなのだろう。
 白い泡が、解けながら流れていく。頭から浴びせられた湯でじわりと温かくなる体だけが、生きている。
 清らかな水の流れ、咲いたばかりの花弁のなめらかさ、神にささげる詩のひびき。彼女はそういうものだ。立香が美しいほど、私は自分が恥ずかしくなる。どうしてあんなことをしてしまったのだろう。考えれば考えるほどわからなくなった。
 立香の両手は私の髪から水気を絞っていた。本当にそれは丁寧がすぎるくらいで、髪を傷めぬようにという気遣いゆえなのだと容易に理解ができる。彼女はいつだってそうだった。私を欺くように甘やかし、微笑みながら抱きしめてくれた。
 私は、それに正しく応えていただろうか。

「先生、入らないの?」

 いつの間に入ったのだろう、浴槽の中から立香が呼びかける。あどけない表情で少し首を傾げて、洗い場で椅子に腰かけたままの私の顔をじっと見つめているらしい。
 らしい、というのは、
「――こわいんだ」
 直視できなかったのだ。
 その目を見た途端、わっと泣き伏してしまうような確信があった。いや、実際そうはならないのだろう。私にはまだ、ちっぽけな矜持が残っていた。残っていたからこそ、惨めだとも言えた。
 立香は何も聞かなかった。何も言わずに、私を待っているようだった。何度か蛇口から垂れ落ちる雫が水面に飲み込まれる音が聞こえていた。それを数えることはしなかったが、片手の指の数では収まらなくなってようやく、私の唇は意味のある言葉を紡ぎ始めた。
「君に触れて、君を傷つけるのが怖い。君を汚すのが怖い。君に嫌われるのが怖い」
 恐れているそれが、すでに起ってしまったことではなければよかった。君を傷つけることもなく、汚すこともなく、嫌われることもなければよかった。
「私は、君を……傷つけるくらいなら、一生触れられなくていい」
 それは贖罪なのか忌避なのか、私にも判断しかねた。項垂れた男はただ、薄暗い孤独の中に飲み込まれる己を黙って見つめているだけだった。
 水の音が聞こえる。
 ぽつぽつと水面を叩くそれは、しかし唐突に打ち寄せる怒濤の如きすさまじさに変貌する。
 立香だった。
 思わず顔を上げてしまった私は、光る飛沫を舞い上げながらその場に立つ彼女の裸体を見上げていた。なだらかな曲線と、あたたかく血の通った色の肌。珠のような雫だけに飾られた、美しい姿態だった。
「先生、」
 力強い視線が私を射貫いていた。あれほどまでに避けていたくせに、私はその双眸から目が離せなかった。
ああ、私はこれを見ていたいのだ。この美しいものに、見つめられていたいのだ。
自覚してしまえば愚かしいにもほどがあった。理解したつもりでも完全にはできていなかった。私はどこまでも彼女を愛していたいし、彼女に愛されたい。そのまなざしを許されたいし、その手その肌に触れていたい。
立香が私を見つめる目は、あたたかい陽の色をしている。たとえそれが己の不甲斐なさを照らし出すものであっても、光であることに変わりはないのだろう。
「わがまま言わないで、風邪ひくから入りなさい」
 立香は調子外れの叱責と共に私の手をとり、引きずり上げようとした。抗う気はなかった。けれど立ち上がったのは、私にもそうしたいという意志があったからだと思いたい。
 浴槽は私を受け入れ、洗い流し、しかし同時に失っていく。私がうずもれるだけ、水は失われる。私が縋った分だけ、立香は摩耗するのだろうか。
「先生はときどき、失礼です」
 いつもとは逆の位置だった。浴槽の中で背後から私の体を抱く立香は、怒ったような口調だった。温めるように私の体に手で掬った湯をかけては、もう一方の、私を抱く手に力をこめている。
「勝手に傷つけたとか、汚したとか、そんなの、先生が決めることじゃない」
「……」
 立香の腕が私の首に巻き付く。しなやかなそれに私からも触れたかったが、腕をかすかに動かすだけで何もできなかった。立香は気付いていないだろう。そのまま、私の肩に埋めるように唇を寄せる。
「先生が何をしようとしたのか、わたし……あの、わかんなかったけど、わかったし……」
「し、」
 調べたのか、と、言いかけて、また何も言えなかった。多分、調べたのだろう。まさかそんな言葉が出てくるとは思わず体が強張ってしまう。しかしそれは立香も同じだったらしく、
「言ってくれたらよかったのに……わたし、先生の前で、お……おもらししちゃったと思って、恥ずかしくて死にたくてもうわけわかんなくて」
 声が消え入りそうになるにつれ、しがみつく腕がぎりぎりときつくなる。意図しているものではないだろうし、身の危険を感じるような力ではないからそれはどうでもよかった。
「だから『そういうことするなら最初に言ってよ』って文句言いに来たのに先生は先生でなんか深刻だし……」
 立香の声が震え始めた。繊細な楽器の音色のようなそれは、なじんでしまうのを忌避したくなる、けれど何度か経験のあるものだった。
「あんな顔見せないで」
 涙声で「馬鹿」と何度も罵倒された。それがうれしくてたまらないのだから、私という男は本当にもう、骨の髄から駄目になってしまったのだろう。
「立香、」
「なに」
 拗ねているような不機嫌そうな返事が愛おしかった。
「本当にすまなかった。もうあんなことはしないし、今まで以上に君を大切にする。嫌だと言われたらすぐに止める、約束する」
 言葉というのはどうしてこんなに、軽々しく響いてしまうのだろう。何が約束だ、そんなものを信じてもらうに値する自分だとは思えないのに。
 それでも立香はわたしを信じ、認め、愛してくれた。
「……やぶったら罰だよ」
「ああ、どんな罰でも受ける」
「……やぶったら、先生の首にこうやって一晩中しがみついて寝る」
 そんなものが罰なのだろうか。こぼれた笑みを感じ取ったのか、立香の腕が少し、緩んだ気がした。



4.


 洗濯機の音を聞きながら、わたしは深く深く、息を吸い込んでいた。
 先生を抱きしめたついでに汚してしまった服は、泡と渦の中でもみくちゃにされている。再び袖を通せるのはきっと数時間後だろう。先生はわたしに一枚のシャツを貸してくれた。Tシャツと黒のワイシャツと、どちらがいいか律儀に選ばせてくれたけど、あれは多分動揺して余計なことを聞いてしまったのに違いない。本当にかわいい人だと笑ってしまいたかったけど、バスタオル一枚だったわたしを直視しない先生は、まだわたしを怖いと思っているのだろうか。
 シャツのカフスを二回折り曲げて、特に意味もなく裾を引っ張ってみる。まるでワンピースみたいだった。先生のシャツはこんなに大きいのに、あのときのあの人は、こどもみたいに弱々しかった。
――ゆるして
泣きじゃくって助けを求めている彼を見ているのがつらかった。こんなにも自罰的な人だと知らなかったわけがない。先生をこんなにしてしまった、責任はなくても原因はわたしにだってある。償いをしたいのは、あなただけではないと言いたかった。だから、わたしはうすいシャツの下で決意を強くした。
今夜、あの人を愛したい。徹底的に。

喫煙所に逃げていった先生が戻ってくるまで、なんと三十分もかかった。あれこれとつけた理由(喫煙所で誰かと話し込んだだの、一日何も食べていなかったから食堂で何かもらってきた、だの)のストックがなくなってようやく観念したみたいな顔を見てしまえば、怒るより先に呆れてしまう。本当にこどもみたいな、困ったかわいい人だ。
「おなかが減ってるのはわかるし、何か食べられるんならそれにこしたことはないけど……」
 かわいい彼女がいるというのにそんなに長い時間留守にされるのはちょっと傷つく。
 そう言うと、尚更先生はしゅんとして「すまん」と言いながらサンドウィッチをもごもごと飲み込んでいた。サイドテーブルをベッド脇に引っ張ってきているだけ、お行儀がいいものだろう。ベッドの上とは言えソファーがわりに腰を下ろしているようなものだから。わたしだって自分一人寝そべるような無作法はしない。大人しく隣にちょこんと座って、少し髭の伸びたような(薄暗くてちょっとよくわからない)横顔を眺めていた。それを先生は、気にしている。
「食堂で食べてくるか持って帰るか迷ったんだ。その、私のかわいい人に見られながら食事をするのがどうにも気恥ずかしい気がして」
「……」
 ちょっと意外だった。
 こんな冗談が言えるくらいに回復していたなんて。わたしの目も曇ってしまったんだろうか。目を丸くしていると、先生は最後の一きれとわたしを見比べて、
「欲しいのか?」
 悪意のない顔でそんなことを言いだす。
「いりません」
 この人は基本的に頭の回転が速くて博識で思慮深いのに、ときどきとんでもなく鈍い。そういうところが好き、いや、そういうところも好きなんだけど。というのは惚れた欲目なのだろう。なんだか悔しくて、わたしは先生が口の端につけたマヨネーズに手を伸ばした。
「――」
 触れる瞬間、違和感があった。具体的に言うと、少しだけ先生の体が強張った気がした。ただ、それもすぐに霧散するほどわずかなものだったから、わたしがマヨネーズを自分の口に含んだときには、こっそり混じっていたマスタードの辛みに打ち消されてしまった。
「わ、ツーンときた」
「はしたない真似をするからだ」
「因果関係が認められません」
 ため息交じりのへりくつに反論すると、先生は空になった紙パックを綺麗に折りたたんでダストボックスに突っ込んだ。現在夜の二十三時前。夜食を済ませた先生と、わたしがしたいことは二つあった。
 一つ目、というか、二つ目。先生をぎゅっと抱きしめて一緒に朝まで眠ること。そして一つ目は、まあ、二つ目に至る前にすること、だ。
 その手に触れたかった。指を絡めてしまえば、顔と顔が近づいて、肌と肌が重なっていく。いつものこと、もう何度も繰り返した、簡単なアプローチ。
 しかし。
「せん、」
「歯を磨いてくる」
「あ、うん」
 見事にすり抜けられた。偶然なんかじゃない。
そりゃ、寝る前に歯磨きは大事だ。カルデアには下手な歯医者より恐ろしい看護師様がいる。万が一虫歯にでもなってあの治療という名の苦行を受けるくらいなら、ものぐさな先生でも面倒ごとのほうを選ぶに違いない。
「それはいいんだけど、」
 布団の中に収まってもわたしの気持ちは落ち着かない。心配と苛立ちと焦りがない交ぜになって、収まる場所を見つけられない。一人きりではきっと、いつまで経ってもこのままだ。だって先生がいないと駄目だから。先生と一緒にならないと、気持ちの置き場所は生まれないのだから。
 早く戻ってきて。わたしの手が届くところに。

「立香、もう少し向こうに」
 呼びかけられたとき、半分くらいうとうとしてしまっていた。壁の方から振り返るように顔を向けたわたしを見て、先生は「しまった」みたいな顔になっている。
「起こしたか、すまない」
「寝てないもん……」
 壁の方にずるずると少し這って、先生のためにスペースを空ける。待ち遠しさが勝って先生の手に触れようとしたけれど、大きな手はわたしには応えてくれなかった。
「寝てた顔をしている。いいから、おやすみ」
 無理矢理にでも寝かしつけたいのだろう。わたしは首を横に振って、マットをばすばす叩いてしまった。
「先生と一緒じゃなきゃいや」
 我ながらどっちがこどもだろう、と、思った。いや、実際わたしのほうが、先生からすれば十分こどもに違いないけれど、わたしは先生を甘やかすつもりなのだから今だけは認められない。
「ああ」
 苦笑する先生は、何がおかしいんだろう。
 ゆっくりと、ベッドマットが沈んでいく。用心がすぎるくらいに注意深く、先生はわたしの隣に入りこんできた。いつもの無遠慮さなんて嘘みたいだった。痛々しいくらいに気を遣われて、これじゃ泣きたいのはわたしのほうだ。
「おやすみ、立香」
 電気を消して、その一言を言っても、先生は結局わたしに触れなかった。
「……寝ないもん」
「君、さっきまで寝てただろう」
 暗闇の中で何も見えず、何にも触れられず、縋ったところで突き放される。ああ、違う。まだ縋ってはいない。
「立香、」
 手探りで抱きついた先生の体は、さなぎのように頑なだった。抱き返してくれる腕は、きっと固い殻の中に閉じ込められているのだろう。頬にシャツのボタンが触れている。冷たくて、痛くて、こんなもの、引きちぎって開いてしまいたかった。
「立香、それじゃ眠れないだろう」
 先生はわたしに触れてくれない。言葉だけでわたしに言うことを聞かせるつもりだったら、それは無駄だ。
「まだ、こわい?」
 抱きしめても抱きしめても、この人を捕まえられないのだろうか。きつく腕を巻き付けても、先生は黙ったまま、指の一本も動かしてはくれない。
「先生、」
「――こわいか、こわくないかで言うと、」
 何かが震えた気がした。それは先生の体かもしれないし、声だったかもしれない。微かすぎて感じられなかったのが悔しかった。わたしはまだ、この人のすべてを知らない。
「こわい」
 予想通りの返事は、身を切られるような痛みをもたらした。わかっていても、覚悟が足らなかった情けなさのようなものがこみ上げてくる。
「許してくれ立香、今日だけ、今夜だけは、ただ隣にいるだけの私であることを、許してほしい」
 ああ、だけど、覚悟が足りないのは先生のほうかもしれない。怯えた吐息を隠しもしないで、弱くてやわらかい心の奥がさらけ出されてしまっている。
「朝になったら、怖くなくなるの?」
 返事はなかった。
「先生、わたしね、喧嘩したまま、眠りたくないなあ」
 鼻の奥が痛かったけれど、気のせいだと思うことにした。きっとこのまま眠っても、朝になっても、先生はわたしに触れてくれない気がした。
「喧嘩なんて――」
「仲直りがしたいよ、だって」
 そっと頼りない胸を押す。きしむベッドの上で仰向けになった先生は、それでもわたしに触れなかった。触れられないから、抗うこともしない。
「あなたがすき。あなたが欲しい。わたしはいつだって先生といっしょに、あったかくて幸せな気持ちになりたいんだもん」
 暗闇に慣れた目が、先生の困ったような顔を見ていた。
無抵抗の彼に覆い被さって、わたしは泣いているのか笑っているのか、自分でもよくわからなかった。

× ×

「今日はわたしが全部するから、先生は何もしちゃだめ」
 などと大見得切ったように言ったくせに、蓋を開けてみればわたしは散々だった。どうにも、うまくいかないのだ。
貝のボタンは滑らかなのに、外されることを嫌がるようにわたしの言うことを聞いてくれなかった。先生のシャツを開いていくのは、簡単なはずなのにちっとも上手くいかない。大体、どうしてこれから寝るつもりだった人がいつものドレスシャツを着ているんだろう。
「先生はいつもこんな服で寝てるの?」
 下のスラックスはベルトこそなかったけどこれまたいつも通りの折り目付きのものだった。ずいぶん寝づらそうな格好じゃないだろうか。わたしが尋ねたのは純粋な疑問と、おぼつかない指先をごまかすためだ。
「いや、さすがに……こんな服では寝ないんだが」
 歯切れが悪いのは返事に困っているのか、それとも腹の上でいけないことをしているわたしが気になるのか、どちらだろう。
「このくらい着込んでいたほうが、今日は……」
「今日は?」
 小さく息を吐く気配がする。
「妙なことを、しないだろうと思って」
「……」
 顔を上げると、読書灯が先生の顔を困らせていた。
 どういう意味なのかすぐにはわからなくて黙っていると、「なんでもない」とはぐらかされる。が、もう遅い。
「つまり、ごわごわした服を着てたら、わたしに触る気にならないと思って?」
「……わかってるならそういう顔をしないでくれ」
 先生は片手で額を覆って呻いた。当のわたしは、したり顔になる。
「だったらなおのこと脱がせないとだめね。わたし、先生に触ってもらえないのは、いやだな」
 先生はため息だけで返事をした。呆れたように、「好きにしろ」と言われた気分だった。多分それは当たっているのだろう。
 ボタンはなんとか、残り一つまでに減っていた。正直一番下のなんて外そうが外すまいが変わらない気がするけど、これはきっと、スイッチだ。スイッチを押したら、わたしはこの滑らかな素肌に頬ずりできる。
「――はい」
 できました、という顔で、シャツと肌の間に手のひらを挟んでみた。先生の顎が少し反応したようだったけど、微かに開いた口元は何も言わない。相変わらず額と目元は片手で覆われて、黙っていたら眠っているように見えなくもない。
 先生の脚の付け根を跨いで、シャツをはだけさせて、わたしはとても、どきどきしていた。いつもとは逆の位置から先生を見下ろして、無抵抗の相手をいいようにしている――というのは語弊があるかもしれないけど、おおむねそういう状況だ。とはいっても先生は枕に肩のあたりまで乗せて今にも寝入ってしまいそうなくらいに無反応だった。
「先生、」
 呼んでみたら、思ったよりも頼りない音量だった。不安なのだろうか、怖いのだろうか。わたしだって先生と同じくらいに臆病で、先生もわたしと同じくらいに自信がないのかもしれない。
「うん?」
 先生は、やっと目元を見せてくれた。少し眠そうに見えたのは、きっと手のひらでしばらく覆っていたから、だろう。わたしの考えていることなんてこれっぽっちも知らない先生は、水辺であそぶこどものようにあどけない。
「さわっちゃう、ね」
 その無垢に何も断らないのはどうしようもなくいけないことのように思えてしまって、わたしは手のひらを肌に滑らせる前にそう言ってしまった。言ったあとで、恥ずかしくなった。わたしが先生に初めて触れられたときのことを思い出して。あのときの先生は、本当に「もういちいち聞かなくていいから」と笑いたくなるくらいに丁寧に、わたしを愛してくれた。同じ事をしているようで気恥ずかしかったし、今のわたしが胸に孕んでいるような愛しさのかたまりを、あのときの先生も持ち合わせていたのかと思うと、涙が出るほど幸せだった。
 先生の肌は、シャツと同じくらいに滑らかだ。男の人らしくごつごつした骨の硬さを指先と手のひらが感じ取っていく。お腹から胸にゆっくり手のひらを上らせていくと、はだけたシャツが両脇に音もなく落ちていった。蜂蜜のような色の光が、肌の上に溶けていく。
「きれい」
 あばらの骨が、まろやかな影を作っている。あまり筋肉がついていないお腹のくぼみは、月の海のようだった。
「男に言うことじゃないだろう」
「ううん、きれい」
 鈍く嫌がる先生の体を抱く。大きくて細い背中に腕を回して、海の水面に頬を寄せる。これが海なら肋骨は波。その波を越えるようにずるずると這って、唇で乱してしまう。
「すき」
 鎖骨を食んで、喉笛を甘噛みして、わたしは何度も何度も「すき」と「あいしてる」を繰り返した。繰り返すほどに陳腐になっていく言葉を実感しながら、それでもこころの昂りを声にしてしまうことを止められなかった。きっとわたしが先生に愛されている間、ずっと意味のない悲鳴を上げ続けるのと理由は同じなのだろう。たまらないのだ。何度与えられても、あなたが欲しくてたまらない。
「先生、いいにおいがする。せっけんのにおい」
 先生は時々くすぐったそうに体をびくつかせるだけだった。さっきまでわたしに触れようともしなかった両手は、申し訳程度ではあるけれど、わたしの背中とも肩ともつかないところを支えてくれている。あるいは、わたしがこれ以上がっつかないように止めているのかもしれない。
 でも、どちらでもよかった。わたしは先生に触れられるのがすきで、触れられたところからじんわりと幸福な熱が広がっていく、その事実以上に望むことなんて何もなかった。
「もっと触りたい」
 ああ、けれど貪欲さが増していく。戸惑っている先生にお構いなしに、もっともっと暴いてしまいたくなる。くっついていた体を引き剥がして、わたしは先生の胸を撫で上げた。薄く筋肉のついた胸板を撫で上げると、わたしのよりも小さいけれど、わたしのと同じかわいらしい突起に触れてしまう。
「ここ、さわるのいい?」
 かたちがはっきりしているのがいつもなのか、それともわたしと同じように昂ぶったときだけなのか、わたしにはわからない。周りの皮膚とは違うしっとりとした感触を指先で弄んでいると、先生は眉を下げて一言。
「くすぐったい」
 なので、笑みがこぼれてしまう。
「わたしもね、最初はくすぐったかった。たぶん、ずっと触ってたら、感じるようになるよ」
 身をかがめて唇を寄せる。キスするように触れると、先生が僅かに息を呑んだ。舌先でつついてみたり、唇ではさんでみたり、そうするたびに先生はかすかにため息を漏らしていた。きっと先生は気づいているだろう。わたしにこうさせているのは、自分が今までやってきたことがあってこそ、なのだと。
「ん……」
 くぐもった声がどちらのものだったか、よくわからない。なにせわたしだって、きゅっと固くなった先っぽがシャツにこすれてしまって、じんじんと鈍い快感を得ていたのだから。ここがこんなふうになってしまったのは、先生のせいだ。先生はわたしに、いろんなことを教えてくれた。気持ちよくなる方法が、こんなにもたくさんあるということを。
「先生……」
 傍から見たら変な光景なのだろう。わたしは夢中になって先生に吸い付いていた。赤ちゃんみたいだと思って、でも、先生も大体いつもこうだと思い返せば、おかしいようなかわいいような思いが込み上げてきて、結局笑ってしまいそうになる。
「ずっと吸ってたら大きくなりそう」
 唇を離すと、唾液が糸を引いた。愛撫されつくして少し充血したような色で、それはとてもいやらしい見た目になっていた。そのうちわたしのと変わらないくらいになってしまうのでは? と言うと、
「いや、それは、困る」
 本当に嫌そうな顔だったので、もうやめてしまうことにした。少しだけ名残惜しかったので、胸板に頬ずりするためにまた抱きつく。
 先生の鼓動は少しだけ早かった。わたしも似たようなものだろう。熱い血を送り出す音は何かに似ている。目を閉じて聞いていると、そのまま眠ってしまえそうだ。名残惜しくて頬ずりしているのに、その頬ずりすらもやめてしまうのがためらわれる。
「くっついてるのって、きもちいいね」
 つぶやくと、先生は小さく「ああ」と返事をしてくれた。大きな手のひらがわたしの頭を撫でている。こどもを寝かしつけるようだなあと思ってしまうくらい、心地よくてだめになる。
 このまま眠ってしまっても、いいんじゃないかと思った。だって、先生は教えてくれた。ただ抱き合っているだけで、肌と肌とをくっつけているだけで、本当にしあわせで、満たされるのだということを。
「眠いんじゃないか」
 ゆっくりとわたしの髪を梳きながらそう言う先生は、「君は眠いんだ」と言い聞かせている……ように、聞こえた。
「眠くない」
 まだやるべきことが残っている。使命感のようなものに駆られて、わたしはのろのろと身を起こした。先生のむき出しの肌は、喉が鳴るほどにきれいだ。
「立香、」
 無理するな、というようなことを言いたいのだろう。わたしは先生を無視して、まずはうなじに口づけた。そのまま唇は下の方におりていく。先生がわたしにするのと同じように。そして先生はわたしがそうするように、わたしの髪や手のひらに触れていた。
 腋の上、一番下の肋骨、みぞおち、くぼんだ臍。先生のどこもかしこもが愛おしい。気持ちをこめてキスしていると、わたしも興奮してくる。なめらかに尖っている腰の骨までさしかかったら、そのあとすることはもう決まっていた。
「立香……」
 ホックに手をかけるわたしを、先生は戸惑ったような顔で見ていた。どういう意味なのかよくわからなかった。先生はあまり反応していないみたいで、それを申し訳なく感じているのか、それとも嫌がっているのか。
「だめ?」
 こんなことを聞くのはずるいのだろう。今の先生が罪悪感のせいで何も言えなくなっていることは、わたしだってわかりきっていた。
「駄目というわけでは、」
 ああ、やっぱり。
 これでは結局、わたしたちは前に進めない。先生の弱り切った顔が心苦しくて、わたしは少し、厳しい口調になってしまった。
「嫌だったらちゃんと言って。わたしみたいに、ならないで。求められるときは、求められてるって知りたいの」
 言葉でも態度でも構わない。わたしは先生に求められたい。わたしが先生を求めるように。
 すがるように足の付け根を撫でる手が不意にとられる。
「嫌じゃない」
 一度絡められた指が強く握られて、解かれる。
「君が嫌じゃないなら、その……してほしい」
 解放されたのは、続きを促すためだろうか。
 わたしは先生の「してほしい」という欲望を耳にして、一瞬体中の血が沸騰したような高揚感に襲われた。冷静なこの人が、わたしを求めてくれている。わたしの手で気持ちよくなりたいと言ってくれている。うれしかった。幸福だった。
「――うん」
 もうためらわなかった。ホックを外し、ジッパーを下ろす。内側はずっと温度が高くて、湿り気すら帯びているようだった。下着の中はもっとそうなのだろう。そっと布の上から触れると、まだやわらかいそれが上向きになっているのを知った。
「見てもいい?」
 先生が頷くのを確認して、履き口に手をかける。どきどきした。腰を上げてくれた先生にあわせて脱がしてしまうと、それはやわらかく揺れながらわたしの目の前にさらけ出された。
「……かわいい」
 わたしのなかをかき回すときとはちょっと違う気がした。まだ小さくて、形も少し違っている。触ってみるとやっぱりやわらかくて、すぐに傷つけてしまうのではないかと怖くなるほどだった。
「かわいくはないだろう」
「ううん、かわいい」
 生まれたてのようだと思った。そっと触れてあげないといけないと思ったし、きっと手でするより、唇で触れるほうが断然いいと思えた。
「りつ、」
 まるっこい先端にキスをした。つるつるした表面も、なめらかな輪郭も、わたしを傷つけないための形なのだと思うと、いじらしさに胸が苦しくなる。わたしを気持ちよくしてくれるもの、先生が気持ちよくなるためのもの。
「きたないから、やめ――」
「ううん、きれいだし、かわいいし、せっけんのいいにおいがするよ」
「う、いいから、そういうのは……」
 おとこのひとは、わかりやすいと思った。
 先端から幹のほうへ唇を移していくと、むくむくと大きくなっていく。感じてくれているのは純粋に嬉しかった。
「お風呂入ったばっかりだもん、き――」
 きれいだよ、と、言いたかったのが途切れたのは、多分わたしのせいだと思う。
 ふざけるように先端を舐めてみたら、大きくなってしまった先生のが、わたしの唇を叩くようにびくんと跳ねてしまった。
「っ、すまん、びっくりして」
 驚いたのはわたしもだった。目を丸くしているわたしに先生は何か弁明しているけど、中身は頭に入ってこなかった。
「舐めるの、気持ちいい?」
 もしそうなら、こんなにうれしいことはない。ああそうか、好きな人が気持ちよくなってくれると、こんなにうれしいんだ。
「先生が気持ちよくなってたら、うれしい」
 わたしの下手な愛撫でも感じてくれているんだろうか。舌を這わせて舐め上げると、先生の手は少し荒々しくわたしの髪を乱した。腹筋が大きく呼吸するように上下している気配がする。舌先では、管のようなものが浮かび上がっているのを感じとっていた。ここを通って、熱い迸りが放たれるのだと思うと、下腹部がみだらに疼いた。唇でなぞりながら、付け根まで降りていく。茂みが鼻先をかすめてくすぐったかったけど、お構いなしにもっと下へと潜り込む。すると、わたしの唇は、なにかふわふわしたやわらかいものに触れた。
「……?」
 疑問に思うまでもなく、そこにあるのが何なのかは知識として理解しているつもりだった。ただ、あまりにもその感触が意外だった。
「ふにふにしてる……」
 そっと指先で触れてみると、先生がまた跳ねた。
「ここも気持ちいいの?」
「……ああ」
 どこか不本意そうな返答だった。気持ちよくなれるならここだってかわいがりたい。とはいえどういうふうに触れたものだろうか。おっかなびっくりな手つきは、先生を気持ちよくさせるため、というより、わたしの好奇心を満たすためのものな気がした。
「ここ、こうなってるんだ……」
 中に何か、ころころしたものを感じた。おもしろい感触を思わず追求しそうになって、はっと我に返る。先生は別に、変な顔をしてはいなかった。わたしの頭を撫でながら、どこかぼんやりと、熱に浮かされたような顔をしていた。
「先生、気持ちいいの?」
 手のひら全体で包み込むと、先生は細い息を吐きながらゆっくりと頷いた。わたしの片手は下から持ち上げるように、もう片方は、筒のように丸めて扱いている。丸い先っぽには何かが滲んでいるようだった。
「ん……っ」
 舐め取ると、涙の味がした。舐めてもあふれてくるそれは蜜のようにとろとろしていて、握っているわたしの指の隙間に垂れて染み込んでいく。
 まるで煽られているみたいだった。扱くように片手を動かすと、くちゅくちゅいやらしい音がする。
「……えっち」
 眉を下げた先生は恥ずかしがっているようだった。すっかり硬くなったそれは、最初に見た姿からは想像もつかない。充血して赤くなって、ああ、だけどぷっくりと大きくなった先端の丸みは、本当にかわいい。食べごろの果物みたいだった。そう思ったから、だろうか。わたしは思わずそれを口に含んでしまっていた。
「あ――あ、ああ……」
 かすれた溜息のようなものが先生の口から洩れた。太腿は力が入ってしまったのか引き攣って、わずかに背中が浮いている。先生のこんな姿は、たぶん初めて見る。本当は知っているのかもしれないけど、これまでに体験しているとしても、きっとわたしも熱に浮かされて何が何だかわからないうちに先生は元に戻ってしまっている。だけど今、わたしだけが冷静に、感じ入っている先生を見ている、それは初めてのことだった。熱いものを口の中で感じながら、わたしは自分の両足を無意識に擦り合わせていた。こんな痴態を見て昂らないわけがない。欲しかった。今すぐこれで満たされたかった。それができないならいっそ、と、片手を脚の間に忍ばせることすら考えた。わたしは、みだらな欲求に憑りつかれてしまって、先生の昂りを慰めることに一生懸命になっていた。そうすることで、わたしも同じように高められていった。
「ふ……う、ぐ……」
 先生は歯を食いしばっている。口の中に大きなものを咥えているのでわからないけど、きっとそうだろう。舌を絡ませるたびに、ちゅうっと吸い付くたびに、びくびく暴れ回って唇から零れ落ちそうなほどだった。わたしはあれこれを試しながら、先生をかわいがった。どうすれば感じてくれるのか知りたかったし、もっともっと気持ちよくなってほしかった。
 ようやく、先生の気持ちがよくわかった。かわいい人がこんなに感じてくれたら、その先まで知りたくなる。自分のせいでこんなにもいやらしくなってくれて、うれしくないわけがない。
 わたしは先生のしたことをもう咎めようなんて思わなかった。だいたい、最初から許していなかったわけじゃない。
 だってわたしは、何をされても嫌いにはなれないんだもの。そのくらい、この人が好きで好きでたまらない。
「せんせい、かわいい、かわいい……」
 唇をすぼめて、顔ごと上下に振り動かして扱く。先生の両足はいつの間にか軽く開いていて、わたしはその間に座り込んでいた。わたしの着ている先生のシャツもずり落ちて片方の肩がむき出しになっているし、先生の手はそこから忍び込もうとしている。
「立香、は、ああ……ふ……」
 先生はとうとう我慢しきれなくなったのだろう。腰がかくかく動いていた。それすら無自覚な行動に違いない。歯を食いしばって快感をやりすごそうとしている表情は、たまらなくきゅんきゅんする。
「ん……せんせ、ほしい?」
 わたしは顔を上げて、もう一度先生の腰に跨る。
「ここに、いれたい?」
 真ん中をぴったりくっつけると、それだけで快感がびりびり通り抜けていく。最初から下着なんてつけていない。先生だって、敏感なところでわたしがねっとりと口を開けているのを感じているだろうに、
「慣らさないと、」
 そんなことを言うものだから、腰をゆっくりと前後に揺すってしまった。
「そんなのいらない、わかるでしょ?」
 ぬるぬると擦れていく。ひっかかることもなくなめらかな動きで、わたしは先生を誘惑する。シャツのボタンを一つずつ外していくと、シャツの中で、ツンと上向きになった先端が触れて少しだけゾクゾクした。
「立香……」
 先生の手が伸びてくる。どこを触りたいのかわからないけど、わたしはその手をとって自分の頬に触れさせた。相変わらず、下半身は物欲しそうに揺れている。
「ほら、こんなに濡れてるから、手を使わなくても入っちゃう」
 実際、先生とこすりあわせているところは興奮とぬるつきのせいで徐々に開きつつあった。粘膜で太い幹をなめしゃぶって、今にも呑みこもうとうねっている。わたしの内側はこんな向きに備わっていただろうか。不思議だった。本当に、手で触れてもいないのに、わたしは先生を受け止め始めていた。
「あっ……ん……」
 押し入られる違和感は一瞬だけだった。あとはそれが当たり前みたいに、あるべきところに収まるように、すんなりと埋め込まれていく。中の細胞が神経が一つ残らず反応して、うれしがっている。粘膜のよろこびはじわじわと広がっていった。体中が震えてしまう。わたしは、うれしかった。
「ああ……立香……」
 先生のため息もわたしと同じだった。満足そうな、多幸感の滲むため息。わたしも先生もきっと、満たし満たされている。先生の腕がわたしの背中に回された。わたしたちは生まれる前から知っていたみたいな自然さで体を一つにした。抱きしめ合って口づけて、これ以上に魂が寄り添えるすべは知らなかった。先生はわたしの頬をゆっくりと撫でている。見つめている両目はうっすらと滲んでいるように見えた。
「せんせ、うごいても、いい……?」
 できるかどうかはさておき、わたしは先生をもっと感じ取りたかった。先生の手が頬を撫でるように、もう片方の手がシャツの中で背中に触れているように、わたしも先生を確かめたかった。返事を聞かないまま、わたしはぎこちなく体を揺らす。もうあちこち、痺れるようなもどかしさで気が狂いそうなほどだった。
「ん……あ、う……」
 自分でも、なかがヒクヒクして、ぎゅわぎゅわに先生を締め付けていることはわかっていた。なのに眉を寄せて切なげな顔をしている先生がとても色っぽくて、もっともっと感じてほしくなる。
「せんせい、すごいえっち……かわいい……」
 腰を押しつけるように前後に揺らして、こすりつける。中も外も感じてしまって、無我夢中だった。先生はわたしの中で太く、硬く、とても熱くなっている。充血した粘膜で撫で上げる度に、びくびく震えているのはとてもかわいい。そう言うと、先生は僅かに口元を緩めた。
「君のほうが、かわいい、それに」
 先生の手がわたしのシャツを剥ぎ取った。両手首でひっかかったそれを放ったまま、先生がわたしの胸に触れる。
「あっ、あ、やあっ」
「色っぽい顔では、勝てないな、っ」
 きゅうっと甘く先端を引っ張られて、のけぞって喘いでしまう。連動して下半身が収縮してしまい、先生も少し苦しそうな声になった。
「立香、」
 二の腕を掴まれて、引き倒される。覆い被さったわたしを抱いて、先生は耳元で唸った。
「――もう、もちそうにない」
 それが、どうしてなのかはわからなかった。
 わたしばっかり先生をいじめてしまったからかもしれないし、前回不完全燃焼だったせいかもしれない。色々考えそうになったけれど、結局わたしは先生の淫靡な囁き声にゾクゾクと感じてしまって、
「ん……いいよ……いこ……」
 上半身を密着させたまま、上り詰めるために動いた。
「ふ、ぅ……あ、ああっ、せんせ、せんせ、い」
「う、あ、はぁ……っく」
息は上がるし、足は疲れそうだけど、わたしが先生を追い詰めていると思うとそれを止めることなど考えつかなかった。固くなった外側の感覚器が先生の肌に擦れて、反対にやわらかくほぐれた粘膜が先生にえぐられるようにかきまわされて、わけがわからないほどの快感で気が遠くなる。
「すごい、せんせい、おっきい、きもちいい……」
 自分でも何を言ってるのか、よくわかっていなかった。頭の中まで痺れてしまって、もう何かを考えることもできなくなっていた。
「はぁっ、あ、んあっ……ふ……ん」
 そうしていつの間にか口づけて、舌を絡めていく。くぐもった吐息が溶け合って、肌に滲んだ汗もつながった部分の水気も、誰のものなのか判然としない。
わたしたちは一つだった。何もかも分かち合っていた。感じるものも同じなら、至るところも、その時も、まったく同じに合わせることができた。
「っ……~~!!」
 わたしのなかで先生が果てる。どくどくと流れ込む精を受け止めて、わたしの体が歓喜に打ち震える。先生はわたしの体をきつく抱いて、わたしは先生に必死にしがみついていた。快楽という波で離ればなれにならないように、懸命に互いを確かめているようだった。
 先生の胸が、呼吸にあわせて上下している。心音も穏やかに落ち着きはじめているのに、わたしは心地よさの余韻の中でまだ朦朧としていた。
「また……お風呂はいらないと……」
 じっとりと濡れた体を感じてわたしはそう言いながら、先生の腕に抱かれる幸福を享受していた。
「立香、眠いんだろう」
 先生の声はあたたかかった。わたしを見つめて笑ってくれるときの、穏やかな声だった。
「うん……」
 でも、お風呂に入った方がいいと思う。だから目を開けなきゃいけないのに、わたしの瞼は言うことを聞いてくれなかった。
先生の唇が額に触れる。よかった、と、思った。もう先生は何も、怖がっていない。安堵すると体中の力が抜ける。
「――おやすみ」
 先生がそう言ったのか、もう定かではない。ただ、朝になって目が覚めたら、わたしも同じように、眠る先生の頬にキスをしよう。そう誓いながら、そっと眠りの底に沈んでいった。