絆レベルの低いおやすみ


 フランスの片田舎には、ふくろうがいるらしい。ここは森でもなければ草原でもないのに、虚にこだまするような鳴き声を聴くとまるで自分のほうが部外者の気分になる。ガス灯も電気もないこの時代、人里に降りても自然あるいは野性というものは、恐ろしいほど近くにあるのだろう。
 町はとっぷり夜に飲みこまれ、民家からかすかに漏れるランプの光だけが闇に抵抗していた。それらは小さく、頼りなく、けれどほうぼう歩き回ってやっとここまでたどり着いたわたしたちにとっては、ほっと安心できるものだった。

――ごめんねー! システムの不調でレイシフトできないみたいだ。幸いそっちは街に近いみたいだし、今日はどっか適当なところに泊まってきてくれるかな?

 原因は機械不調と言いつつあまり悪びれた様子のない、つまりいつも通りのダ・ヴィンチちゃんの声を聞いたのが、二時間ほど前だろうか。歩きづくめの脚は棒のようだけど、夕暮れの中でこれほど早く集落にたどり着けたのは幸運だったに違いない。
「幸い、宿はあるそうだ」
 適当につかまえた村人と話し込んでいたロード・エルメロイ二世先生が手柄のようにそう告げた。実際、手柄だろう。わたしはフランス語を使えないので、この時代の人々と意思疎通するためにはサーヴァントに頼らなければならない。不甲斐ない。というかサーヴァントはずるいと思う。
「そう大きな町には見えないけど……宿なんてあるんですか」
 知らず、疑わしい声音になったのも仕方がないというもの。何せこの町、というか村、あるいは集落は、たいそうこぢんまりとしていて、到底宿場町にも見えないし昼間でも活気があるとは思えない。わたしの、現代日本に即した知識では観光地でもない田舎にまっとうな宿泊施設など望めない。せいぜい、テレビ番組の企画のように一般家庭に頼み込んで一夜の宿を提供してもらうくらいか。
 わたしの怪訝な顔に、先生は眉をかすかに動かすだけだった。
「このくらいの時代は、情報にしろ物資にしろ、どれだけ小さな街や村でもそれを運び伝えるために人が行きかうことは当然ある。質素だろうが宿は存在するものだ」
「なるほど」
 交通手段も徒歩か馬程度のものだから、日帰りで用が済むことなど稀だろう。理にかなった説明にわたしが納得していると、彼は広い石畳の道をずんずんと歩いて行った。
「あのう、どちらに」
 あわてて追いかける背中に問うと、「宿だ」とだけ返ってきた。言外に「そのくらい察しろ」と言わんばかりに呆れているのが見て取れたが。
 よくわからない人だ。
 堅苦しい雰囲気から察するに口数は少ないのだろうと思っていると、不意にあれこれ喋り出す。それはマスターとして、あるいは魔術師としても未熟なわたしをどうにか標準レベルまで引き上げるためのレクチャーのようなものに違いない……と思っているので、一応そういうときは神妙な顔をして聞くことにしている。
「……」
「ちゃんとついてきてますよ」
 一度だけ振り返った無表情に、追いつこうと小走りになってみせる。ぶっきらぼうなようでいて、おそらく保護対象と定めた相手にはそこそこ優しいらしい。小走りになったわたしを気遣って歩調を緩めてくれる程度には。
 
 向かった先の二階建ての建物は、一階が酒場になっていた。見たこともない弦楽器に合わせて人々が陽気に歌い、呑み、食べている。やたらめっぽうハーブの香りの強い肉料理だとか、一種類しかなさそうな酒だとか、その酒だって入っているのはどうやら樽らしいし、とにかく見るものすべてが新鮮だった。グラスやジョッキの代わりに木を削り出した大きな、持ち手の付いたコップが掲げられては空になる。いい飲みっぷり、というやつだろう。皆顔が赤いのはランプのせいかそれとも酒のせいか。こどものわたしにはわからない。わたしはただその喧噪を、太い柱に凭れて聞いているだけだった。
 少し離れたところで、先生は宿屋の主人に話をつけているのだろう。ずいぶん長く話し込んでいるようだけど何かあったのだろうか。心配に思うしそちらに行った方がいいのかもしれないが、わたしの体は柱にぴったり貼り付けられたように動かなかった。一日を終えた体は疲弊しきっていた。
 弦を爪弾く音が、複数の人の歌声が、思考を放棄した頭に耳に心地いい。子守歌に合わせて、床が鳴る――
「こら、こんなところで寝るな」
「いてっ」
 小突かれた額をさすりながら目を開けると、相変わらず硬い表情の先生がいた。今、床を踏みならしてきたのは彼だったらしい。それにしたっていきなり小突くのはどうだろう。別に酒を飲めとは言わないが、あっちのおじさんたちと先生を足して二で割ったらそこそこ愛想がよくなるんじゃないだろうか。
「……そこまで眠いなら、仕方ないか」
「え?」
「なんでもない。いくぞ、部屋は二階だ。ああそれから、これを持ってくれ」
 先生は顎で廊下の先を示し、わたしの手に二つの木製のコップを押しつける。あちらでジョッキ代わりに使われているものよりもずっと小さい。無骨だけれど丁寧になされた仕事を確かめるようにひっくり返したりのぞき込んだりしている間、先生は酒場から、デキャンタというにはちょっと雑すぎる容れ物に酒を分けてもらったらしい。たぷんとゆれる色の濃い水面から、さほどそそられはしない香りが漂っていた。
「それ、美味しいんですか?」
「……さあ、どうだろうな。期待しすぎると落胆が大きくなる」
 味の付いた水だとでも思っておこう。と、小さく笑った先生に、わたしは「味のない水のほうがマシ、とかじゃないといいですね」とは言わなかった。
 酒場に背を向けると、周りの空気が違ってくるように思えた。熱気と呼べるものは霧散し、ろうそくの火は暗い廊下の数メートル先には届かない。先生を中心にした橙色の円はまるで安全圏の境界のように見え、わたしはそこからはみ出さないよう歩くのに少々難儀した。怖がったところでせいぜいいるのはネズミくらいのものだろうけれど。
「前に、」
 不意に口を開いたわたしを、先生は遮らなかった。
「前にフランスの町に来たとき、アマデウスが、食堂から蹴り出されたことがあって」
「蹴り出される?」
 意外にも語尾の上がった彼に、わたしはそのときの顛末――アマデウスの背信的悪意による無銭飲食のことを話して聞かせた。笑ってくれるのかと少し期待はしたけれど、結局先生はにこりともせず、ぽつりと「君も苦労しているのだな」と言うだけだった。足取りは変わらない。笑わせられなかった落胆というより、滑ってしまった居心地の悪さのほうが大きかったので、わたしはそこから何を言うこともなかった。
 無言になったわたしたちが幅の狭い板が並んだ階段を上ると、軋む廊下の一番奥にあてがわれた部屋はあった。一枚板で作られた扉には、当然かもしれないけれど部屋番号も振られていない。
「ここだ」
 両手が塞がっている先生の代わりにわたしが扉を引いて開けると、少し埃っぽい匂いがした。先生は先に中に入り、テーブルにキャンドルとデキャンタを置く。遅れて入ったわたしは――
「えっ、狭っ」
 仰天した。
 部屋自体は狭くはない。ベッドとサイドテーブルと椅子があって、窓も一応ついているからごく普通の部屋だと思う。
 狭いのはベッドだ。シングルサイズよりも一回り小さいのがひとつっきりしかない。どういうことなのだろうか。ミスか手違いか、あるいは勘弁してほしい類の誤解か。
 先生を見ると、彼はちょっと居心地が悪そうに肩をすくめる。
「あいにくこの部屋しか空いていないらしい」
「マジですか」
 警戒のためか、あるいは少ない路銀を節約するためかと思っていたら根本的に部屋が足りなかったのか。そういうわけなら二人で一部屋なのもしょうがない。ただ、わたしはこういうのは慣れているけれど、先生はさして親しくもない人間と同室で一夜、なんて、嫌がりそうだな、と思っていたのだが。
「ああ、マジだ。何、野宿よりはマシだろう」
 意外さで眉を上げてしまう。「マジだ」などという俗な単語が、それもわたしの言にあわせるように口から出てきたのが意外だった。人好きのしない人間だと思っていたけれど存外社交性はあるのかもしれない……と、野宿するくらいなら同室するのを選ぶ相手としてめでたく認定されたわたしは、不遜にも人物評を上方修正した。確かにわたしも、野宿するよりは多少狭くともベッドの上で眠りたい。それは事実だが。
「そりゃマシだけど……でも……」
 このベッドは正直、二人並んで寝るにしても無理がある。というか、この大きさでは物理的に不可能だ。一人っきりで寝るにしたって、わたしならともかく先生の長い脚は絶対、はみ出す。この時代の人間はさほど上背がないのかもしれない。平均的なサイズのベッドに未来人がクレームをつけてもしょうがないが、わたしはベッドを指差したまま先生と寝床を交互に見ることしかできなかった。こんな動きをするおもちゃがあったな、なんて思いながら。
「私はここでいい。君はそっちで寝ろ」
「は?」
 先生は無慈悲にもベッドを占拠した――わけではなかった。脱いだ上着を粗末な椅子の背もたれにかけ、ネクタイを緩めながら部屋の壁のほうへ歩いて行く。といっても大した広さではないので、単に壁の方を向いただけ、と言った方が適切かもしれない。
「寝るって、椅子で?」
「そうだ」
 こちらを振り向かない背中は素っ気なかった。おそらく先生の中ではベッドの占有権について決着しているのだろう。だから、次の仕事だと言わんばかりの淡々とした態度で確かめるように壁に触れ、指先で何かを描いている。
「何してるんですか?」
「結界だ。念のためにな」
 詳細はわからないが素早く術式を施すと、次の壁の前に歩いて行く。同じ動作を四回繰り返すのを、わたしは黙って待っていた。邪魔をしてはいけないだろうから。
 最後に出入り口のドアに念入りに指先を滑らせて、それで「仕事」は完了したらしかった。ふうと小さく息を吐いた先生は棒立ちしているわたしを横目で見つつ、デキャンタの中身を一つのカップに注ぐ。
「どうした。疲れているだろう、早く休め」
 朴訥な口ぶりで気遣ってはくれているようだが、はいそうですかとベッドに飛び込む気にはなれない。
「だ、だめだめ! 先生がこっちで寝ないと!」
「お前はどうするんだ」
 平然とした口調でカップの中身を口に流しこむ。直後の渋い顔から察するに、水のほうがマシな味だったに違いない。
「え、ええと、床で寝る!」
「馬鹿か」
 眉ひとつ動かされなかった。確かに、言った後でこの部屋が土足だったことに気づいて撤回したくなったのは事実だけども……。
「吸っても?」
「あ、どうぞ」
 先生はスラックスのポケットから煙草を出し、燭台の火を使って吸い始めた。ろうそくの炎が揺れる。暗い橙色の影が先生の、彫の深い顔を際立たせていた。表情は淡々としていた。気を抜いているわけでも安穏としているわけでもない。単に張りつめる必要がないからそうしているだけ、のように見えた。
「そもそも、そのベッドは私には小さい」
 煙が直接わたしにかからないように、先生はしゃべりながら息を吐いた。焦げたような独特のにおいは、嗅いでいると頭がぼうっとするようだった。
「だけど椅子なんてろくに寝れるわけないし、体バッキバキになるし、寝つけないし」
「だから私がこっちで寝ると言ってるだろう」
 頑固だ。見た目通りに頑固な人だった。でもわたしだって引き下がらない。
「でも……先生は昼間も戦闘してて、わたしは何もしてないから疲れてないし!」
「私はサーヴァントだ。君とは違う」
「うぐ……でも霊体化できないじゃない」
 寝床も食事も必須ではないサーヴァントとはわけが違う。すると、初めて先生の表情が崩れた気がした。
「……それでも君よりは体力もある。いいからそこで寝てくれ、君は私の、”マスター”なのだから」
 妙に強調された単語に、なぜかカチンときた。散々「仕えるつもりはない」と口を酸っぱくしていたのはなんだったのかと反感を覚えてしまう。
「ふーん……征服馬鹿以外に仕える気はないとか言っといて、こういうときだけ忠臣気取りですか」
「何?」
 後になって思えばこんなことを口にしてしまうあたり、わたしも疲れていたのだろうし、内心で件の発言がひっかかっていたのかもしれない。ともかく、ぼそっとつぶやいた一言は、その耳に拾われていた。
 売り言葉に買い言葉、先生は眉を吊り上げて負けじと口を開いたものの、すぐに涼しい顔になる。大方、小娘相手に本気になることもないとでも思ったのだろうし、そこまで短慮な人物だとわたしも思っていない。(これはただの、願望めいた期待かもしれないが。)
 物わかりのいい大人の顔で、先生はカップをテーブルに置いた。ところでわたしのぶんを思しきカップはあっても、わたしが飲めるものがないのはどういうことだろうか。素朴な疑問とともに木製の調度品を見ていたわたしは、先生の言葉に耳を疑うことになる。
「そうだな、訂正しよう。いいからそこで寝てくれ、”レディ”」
「……」
 多分、わたしの目は点になっているに違いない。先生はそれを見て、気味が悪そうに顔を歪めた。
「……なんだ、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔して」
「いや……女だと認識されていたのかと思って……」
「はあ?」
 素っ頓狂にひっくり返った声だった。なかなかどうして、今日はこの人の意外な面ばかり知る気がする。
 それはさておき、ここにきて女扱いされるとは思わなかった。なんせわたし、これまでの特異点でまともに女扱いされた記憶がない。それどころかどうも女の子からばっかり好かれっぱなしで、まさか自分は男と認識されているのだろうか……と、不安にすら思っていたのに。
「何を言ってるんだ。そもそも君が男なら宿探しなどしない」
 そうきっぱり断言されるとどんな顔をしていいのかわからなくなる。まさか笑うところじゃないだろうけど、とりあえず日本人らしくへらへらとしてみた。
「はは、紳士なんですね……ん、それとも孔明の罠!?」
 適当なことを言ってわたしをベッドに寝かせようとしているのでは!? と、腰を落として警戒してみせると、先生は心の底から気の毒がっているような顔でわたしを見下ろした。
「……人の厚意を疑うほど今まで雑な扱いをされていたのかと思うと同情を禁じ得んな」
「そういう憐みの目はさすがに心が痛いんでやめてくれませんかね」
 別に雑な扱いではなく性自認があやふやになっただけだし。
「とにかく、君は、そこで、寝ろ」
 一息ずつ力のこもった言葉に、わたしも負けじと息を吸いこみ、ちょっと煙に咽せそうになったのを堪えてつっぱねる。
「お断りします!」
「頑固だなお前!?」
 荒げた声は、どうやらこれでわたしがおとなしく引き下がるとでも思っていたのだろう。虚を衝けたような、よくわからない達成感があった。
「たとえ本心からレディ扱いされてもそれはそれ、これはこれです。男女は平等! ベッドは疲れている人のもの!」
 ふんと鼻を鳴らして言い切ると、先生は長い溜息とともに煙草をもみ消した。
「……これ以上言っても無駄か」
 おお、ようやく気持ちが通じたのかと思ったが、その手はなぜか燭台を持ち上げる。燃える赤が目の前に掲げられた瞬間、わたしは奇妙な耳鳴りに襲われた。
「……?」
 体から力が抜けていく。懸命に両足で踏ん張りながら考えてみるが、まさか外敵からの攻撃なわけがない。結界は張られているし、先生は平然としているし、これはつまり――
「本当に、頑固なやつだ。……まあ、そのくらいじゃないとマスターなんてやってはいられんか」
 赤い火が揺れる。先生の口がふうと息を吹き込み、続けて何か、呪文のようなものが聞こえて、ああ。
「……やはりこうめいの……わな……」
 暗示か催眠か、どちらかだろう。悲しいかな、へっぽこ魔術師見習いは一流のキャスターにかなうはずもなかった。ぐらりと歪む視界でわたしが最後に見たのは、こちらに伸ばされるすらりとした腕だった。



 そうして意識を失い、あっけなく眠ってしまったに違いない。
 目を開けたとき、すでに空は白みはじめていた。窓の外からかすかに朝の気配が感じられる。早起きの人々はすでに働きはじめているようだし、小さな青い鳥がさえずるのも聞こえてくる。外はきっと凛と冷たい空気が満ちているだろう。
 外を見てみたい。
 わたしは身を起こそうとしたが、勝手に窓を開けて結界に綻びでもできたらいけないと思い直して、もう一度全身を弛緩させることにした。朝だというのに空気を入れ換えるわけにもいかないのは残念だし、気分もよくない。それなら、めったにできない二度寝の贅沢を堪能するのもいいかもしれない……とも考えたけれど、椅子で眠る人を尻目にそれができるほど、わたしは図太くはなかったらしい。
「……」
 逡巡した結果少し黴臭いシーツに反発して体を起こし、ベッド脇の椅子で寝こけている人影を観察した。
「……よくもまあ」
 こんなところで寝られるものだ。
 サイドテーブルにはデキャンタとカップが変わらず、そして燭台のろうそくは当然跡形もなくなっていた。背もたれにのけぞった先生は天井を仰いで寝ている……のだろう、ゆっくりと胸のあたりが上下している。一番上だけボタンが外されたシャツはともかく、ネクタイが床に落ちているのはいかがなものか。
 ちょっとだけ迷って、わたしはネクタイを拾い上げた。たたみ方――そもそもたたむのかどうかもわからないけれど、端からくるくる巻いてテーブルの上に置いておくことにする。
 そのついでになんとなく、部屋を見回した。施された魔術についてわかることは何もなく、思い返してみてもあっさりと暗示だか催眠だかにかかった自分のうかつさが情けない。
 ふと、煙草の吸い殻が一本だけしか転がっていないことに気がついた。その理由は、寝ているわたしに気を遣ってくれたからに違いない。となると、眠らされる直前の一本に催眠か暗示の術式が施されていた可能性は高いのでは?
「……そんなお話、あったなあ」
 ずいぶん昔に読んだ小説に、葉巻の煙で魔術にかけられた人がいた。これもそういうものだろうか。聞いてみようと思ったけれど、やめておこう。何度も鼻で笑われるのは、さすがに癪だった。