2017.3.1

『愛してその人を得ることは最上である。愛してその人を失うことは、その次によい。』 サッカレー

 水晶は砕け散り、乱反射して夏の空に消えていく。
 反転した重力に引っ張られて、高く高く舞い上がっていく。
 それは昇天だった。終わらないことをただ願い続けた日々への決別だった。
 忘れた方がいいのだろうか、覚えていたほうがいいのだろうか。
 忘れてしまえるのだろうか、ずっと記憶していられるのだろうか。
 ”わたし”には、それはわからない。わかろうとすることができない。
 今はただガラスの破片になって凍る涙を、懸命に見定めようとするだけ。
 こんな悲しみを忘れてしまえるなんてことが信じられない。
 こんな痛みを思い出だと嘯いて愛撫する日々がくることを受け入れられない。
 このまま”わたし”の世界(すべて)が映画のように終わってしまえばどれだけいいだろう。なのに、”わたし”はエンドロールが終わった後も、場内に現実の光がともり始めたあとも、記憶したままに一切を続ける覚悟を強いられる。
 生きなければならないのだ。
 ”わたし”が愛したすべて、”わたし”が望んだすべて、”わたし”が手に入れたすべて、”わたし”が”わたし”だったことを証明するありとあらゆるもの。
 すべては白い鳥になって羽ばたいていき、あるいは泡沫となって溶け消えていき、胸の中には許容できない穴が開く。
 そこにはまた、あたらしい何かが据わるのだとあの人は言った。

 ”君はこの先もその目で世界を見つめ、その足で踏みしめ、その心でありとあらゆるものを愛する。望んだだけ世界は広がり、君の可能性はどこまでもその腕を伸ばすだろう。そしていつか、”私”よりも君を想ってくれる存在ができる。いつか”私”のことよりも、大切に思う存在ができるだろう。それは、生きている限り絶対に否定できない可能性なのだから。ああ、君が生きていることが、”私”の歓びだ。君が愛することをやめてその心を殺さずにいてくれるのが、”私”の最後の望みだ”

 ならば生きているあの人もまた、”わたし”を忘れ、”わたし”よりも大切に想う存在を得るのだろう。
 まったく論理的な帰結は身を引き裂かれるほどに辛く、受け入れがたく、なのにどこまでも清々しくすらあった。
 蝉が鳴く。陽炎が揺れる。空はどこまでも青く、”わたし”は喪失を堪えられない。

 愛している。
 愛している。
 愛している。


 愛している。君が”私”を覚えたまま死ぬよりは、”私”を忘れて生きてくれるほうが比べるまでもなく、嬉しい。だからどうか、その悲しみを否定しないでほしい。その涙にただ溺れることだけは、しないでほしい。
 ああ、愛しているとも。
 こんな分別を知り尽くした大人の顔で諭す”私”を殴り倒して、すべてをさらって世界を敵に回したいほどに愛している。それをしないのが果たして誰のためなのか、”私”にはわからない。身命を賭すと定めた目標のためだろうか。あるいはみずみずしい可能性を摘みたくはないという建前のような本音のためだろうか。
 ”私”はこの期に及んでそれすらわからない。わかりたくはないのかもしれない。しかしどちらにせよ”私”はろくでもない男で、君にふさわしい存在ではなかったのだ。
 わかりきっていたことから目を逸らした、そのツケなのだろう。
 拒絶すべきときにしなかった罪は深く、罰は何よりも重い。
 しかしその重さすら心地よさを以って受け入れるあたり、”私”は本当にろくでもないのだろう。
 君を愛してよかった。君を傷つけるほどに愛することができて本当に、幸福だった。
 その熱を忘れるとしても、忘れられるとしても、何の後悔があるだろうか。
 もはや”私”はただ、君が軽やかに歩いている、それをできるだけ長く、眺めていたい。

 さあ、行きなさい。虹がまだかかるうちに。
 君が救った世界は、こんなにも美しい。

 

 

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 無自覚シリーズは発行済みの本で本筋は完結させたつもりだけど世界を救ってしまった後、綺麗にお別れしたい二人の話も機会があれば書いてみたい。FGOがサービス終了したタイミングとかで。